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2007年1月8日設置 サイト→http://warakosu.syarasoujyu.com/
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松本人志と明石家さんまは本当に凄い人なんだなと、私はつくづく思いました。

彼らは、ずっと、人を守ろうとして守ろうとして頑張ってるんですよね。
隠したり切り捨てたりといった臭い物に蓋をする方法ではなく、誰かが悪者にならないように最良の道を見つけようとして頑張っている。
彼らも腹が立ったり思う事や理解できない事があるだろうと思います。でも、他人の馬鹿さやどうしようもなさを自分達でフォローして、彼らの良いところを信じて、何とかして救おうとしている。
一番難しくて一番尊い事をやっています。
尊敬すべき人だと思います。本当に。

私も自分を省みて、少しでも彼らの人間性の高さに近づけるよう努力したいと思いました。
ネットやメディアを通じて怒りを扇動するようなことは絶対にしてはいけないですね。偏った正義感ほど人を傷つける物は無いです。正義のために誰かを排除するという考え方は、そもそもパワハラの種です。
ほんと気をつけよう。

私は闇営業の芸人も社長も会長も個人的に知ってるわけではありません。
でも、彼らを守りたいとこんなに必死に頑張っている人がいるなら、彼らもそれだけのちゃんとした人なのだと信じられる気がします。
裏切られたって別に良い。信じた分だけ人に寄りそえる人間になれる、それだけの話です。


そしてまた、一社会人として、私は岡本社長に多少の同情も覚えるのです。
この人は、とてもではないがカリスマ性のある人では無い。大きな器があるとも思えない。
でも、だからといって社長になってはいけないわけでは無いんです。
大切なのは、自分の器を自覚して、それに見合った仕事をすること。器に合わない背伸びをしないことです。
自分の器で必死に丁寧に頑張ることで、小さな器でも輝くんです。
器に合わないどでかい桐の箱に入ろうとしても、箱が揺れた時に割れるだけなんです。

大崎会長ですか、あの人はカリスマ性のある方だったんでしょう。
「家族のような会社」も、あの人は経営できたのでしょう。
でも、「家族のような会社」を上手く運営できるのは「家族」のイメージを社員にはっきり見せられる人だけではないでしょうか
「家族」ったって千差万別ありますし、殺人事件は親族間が一番多いんです。「家族のような」などという漠然とした表現で引っ張っていける人材は滅多にいるものではありません。
カリスマ経営者が怠りがちなことですが、自分の後に来る凡人のために、誰でも回せる組織を残してあげないとダメなんです。
後任者が器に合わない事をしないで済むように、絶対にしてあげなきゃいけないんです。
吉本はそれがされていない。会長が前面に出て来て岡本社長の器に納められない理想を語ってしまう。正直、この点については本当社長が気の毒です。
彼は自分の器がどれだけかも気づけないでしょう。後ろからめっちゃ光る照明で照らされたらプラスチックの器だって自分がダイヤだと錯覚しますよ。そういうもんです。

また、経営者と従業員で、真正面から話合ってもわかりあえる日は絶対に来ないと私は思います。立場が違いますから。
だから企業理念というものがあるんです。
高い理念は、政治でも経営でも個人の仕事でも、必ず同じところに行きつきます。
「人を幸せにする」です。
経営者と従業員は、理念を通して繋がることができる。
吉本の企業理念は、笑いで人々を幸せにすることでしょう。
笑いで人々を幸せにするために従業員である芸人を大切に育てる、笑いで人々を幸せにするために会社の一員として頑張る、そうやって同じ方向に進むんです。

「家族のような会社」「芸人ファースト」は企業理念ではありません。ただの社風です。
社風と言うのはその個性は残せど、時代と共にやり方は変わっていくものです。
笑いで人々を幸せにする、それに向けて働く環境を整えるためにどうすればいいか、常に考えて変わっていかなければならないはずです。
それを吉本はできていない気がします。

仕事をするにあたって、私も出来る限り人を排除する事は無いように、何もしていない人も何かしている気になって一緒に同じ目標を見られるように努めているつもりですが、意識して努めなければできない人間でもあるわけで、そこは弛まないよう気をつけたいです。
努力することに努力する・・・努力を重ねるというのはそういうことなんでしょうね。

吉本は、ゆっくり変わっていけばいいんじゃないでしょうか。今日明日いきなり別人になるなんてそんなことを求めても酷です。
「人に笑ってもらえることがこんなに嬉しい」と彼らが改めて思いだし、理念の下に一致団結できるような、そんな観客でいることが、今私達にできる最大の応援であるように思いました。

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トミカってあるじゃないですか。子供の遊ぶミニカー。

あれ本当にいろんな車が揃ってるんですが、小さい子ってなぜか、ゴミ収集車好きじゃありませんか。

頭が白くて甲羅が青いあの。正式名称は清掃車か何かだと思うんですが、ゴミを集めるあの車です。

私も子供の頃、持ってるトミカのうちでゴミ収集車一番好きでした。
そして親戚の3歳児も好きだと言う。

なんですかね・・・ほかの車に無いカラーリングと、ちょうど手にフィットするずんぐりむっくり型でありながら後ろがちょっとだけカパカパするみたいなところが心を掴むんですかね・・・

トミカのゴミ収集車は、何か良いです。
痛ましい事件です・・・本当に。
被害者の女の子と男性はもう本当に可哀想で悲しいです。何の落ち度も無い。
しかし同時に、ぽつぽつ報道され出した犯人の生い立ちも、どうにもやるせない。凶行は憎むべきものとしても、幼少期に基本的な人間性を破壊されて、それでどうやって幸せな大人になれるというのか。とても難しいですよ。誰かに助けてもらわなければ。

犯人が幸せな人間だったら、こんな犯罪は絶対に起こさなかったはずです。

「死にたいなら一人で死ねばいい」は、私は違うと思います。
仮にそれが実現した場合、「ある人の自殺」というただ違う悲しみに突っ込むだけで、「他人を巻き込まなくて良かった」とは普通誰も思わないからです。起きてもいない通り魔事件を前提に人の自殺をそんな風に思う人がいたら、それはたぶん頭おかしい。
「一人で死ねばいい」は実現しても何も良い事にならない言葉です。そういう言葉に、道理は無いです。

それに、たぶん犯人は死にたくて凶行に走ったわけでないと思うので、その意味でも違うと思います。

犯人は人を苦しめたかったんでしょう。殺したかったと言うより、苦しめたかったんでしょう。愛されて大切にされている人を殺し、完璧に逃げる。人を苦しめるのにこれ以上の手段は無いです。自分を愛してくれない親や周りの人間を苦しめる手段もこれしか無いです。
一人で死ねと言われるような人間だから、一人で死ぬのでは意味が無いんです。

犯人が、幸せな人間だったら良かったんです。
本当に、それだけです。


刀剣乱舞は続けていますか?というご質問をいただきました。
はい、電車内の暇つぶしに続けています。

ただ、やっぱりゲームとしてはひたすら繰り返しで、戦闘もこっちが何も考える必要無く勝手に結果が決まってしまうので、楽しいかって言うと楽しくは無いですね。これがパチスロというものかなとも思ったり。

キャラゲーとしても、肝心のキャラクターが今ひとつまた心を撃ち抜いてくるには至らないので嵌れない・・・たぶん、対象年齢が私には若すぎるんでしょう。悲しい事です。

システムも色々、なんかピンと来ないって言うか・・・

特に、あれですね・・・

修行に出て「極」になって明らかに弱体化して帰ってくる仕様がね?

何のための修行。何のための「極」。
私のLv99蛍丸を、Lv99和泉守兼定を、Lv99小夜左文字を、Lv99(中略)を、返せ。
極短刀6本揃えたら7面余裕でクリアできるって・・・攻略サイトに・・・嘘つき・・・

あと、大太刀の極があるのに太刀の極が実装されてないのはなんでかなって・・・
私のLv99江雪左文字とLv99鶯丸とLv99大般若長光とLv99(中略)はこの先何をすればいいの。カンスト・即・お蔵入りなんですけども。

いや、たとえ極にしたって弱体化するから、正直極にしたくは無いんですけどね?
実際、太郎太刀と長曽祢は修行に出さずに手元に置いてますよ、Lv99なのに。


・・・というわけで、やってるけど、どうも今ひとつです。
・・・・そう言えば、私はコミケの申し込みをすっかり忘れたまま本日に至るんですが、そうか、2月締め切りだったのか。


・・・そうか。


・・・・・・・・


とりあえず、受かった気持ちで下巻は夏までに作りましょうね。
販売方法は後で考えよう。そうしよう。


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