一昔前に、デーブ・スペクターでもないケント・デリカットでもない、日本語を流暢に話す外人の教授?みたいな知的な感じの人がNHK教育とかに出てたと思うんですが、あの人の名前何だったかあああああ思い出せなくてものすごく気持ち悪い!!!
とにかく彼は確か49ヶ国語をマスターしてる人で、その物凄い言語力を身につけた動機が「いろんな国の女の人とお話したいから」でした。
そんな希薄な動機があるかよと思ったんです、私は当時。
しかし。自分がジェフリー・バトルのインタビューやジェフリー・バトルに関する記事を英語なんぞ物ともせずに読んでいる今、あの言葉こそ誠の真実であったと認めないわけにはいかない。
文法を知らずとも単語がわからずとも、愛があれば心意気だけで読める!マジで!最近のPCはカーソル合わせれば多少の訳は出るしね!
そしたら何かすごい可愛いインタビューがありましたよ。
記者「自分が初めてスケートを滑った時の事は覚えていますか?」
ジェフ「僕はとてもちっちゃかったから、正直に言うと覚えてないんです。始めたのは二歳の時ですから。僕の両親が僕と姉をスケートリンクに連れて行ってくれて、家族でスケートをしてたんです。基本的に、僕は氷の上で歩くのを練習してました。覚えているのは、両親が僕にスケートを教えたのはホッケー選手にする為だったっていうこと・・・・でもそれはうまく行かなかったね!(笑)」
記者「初めて競技会に出たときの事は?」
ジェフ「それは本当に覚えてるよ!ママがビデオを撮ってくれていたから。僕はプログラムの途中で立ち止まって、スタンドにいたママに手を振っちゃったんだ。それからまた少しだけ滑ってたけど、僕はそれが競技会だっていうことに気づいてなかったんです。1988年のはずだから、6歳ぐらいかな。たぶんビリだったと思う(笑)」
記者「あなたは氷上で様々なタイプの演技をしますね」
ジェフ「実際には2タイプです。僕はバレエをやっていました。本格的にやっていたわけではなくて、スケートのためにしていたんだけど、競技会には出ました。なぜかっていうと、その時の先生に無理矢理出されたから(笑)。それから姉とアイスダンスもしていました。僕の方が背が低かったからあんまり上手くいかなくて(笑)、結局やめて、僕は自分が個人でフィギュアスケートをしたいんだってことに気づいたんです。姉はアイスダンスを続けました。彼女は僕がいなくなってからの方がずっと上手くいくようになったんだよ。僕は面白くなかったよ!(笑)」
・・・・・・
彼が家族中から愛されて育ってる様子が目に浮かぶようです。
氷の上でママに手を振ってる6歳のジェフ・・・ってどんだけ可愛いシチュエーションだー!!!こんな話が聞けるなら英語ぐらいいくらでも読むわー!!!
名前を思い出せない人の言ったことは輝かんばかりに真実だったよ。
考えてみりゃヨン様ブームで韓国語をマスターした人があんなにいたじゃないか。
言葉と言う物の存在意義を思い知ったこのごろです。