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2007年1月8日設置 サイト→http://warakosu.syarasoujyu.com/
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しつこく箱根駅伝を語りたいと思います。長いよ。

箱根駅伝で私の中の一番古い記憶は、第72回大会の山梨学院大学の中村選手なんですよ。
たぶんこの前から見てたと思うんですが、はっきり覚えているのはこの年の彼からです。

中村選手はとにかく強くて、身長高くて強面で見るからにアスリートで、エースと言ったら中村というぐらいエースな人でした。エースエース言い過ぎてなんだかわかんなくなるぐらいエースでした。
箱根は70回大会から4年連続出場、うち3回区間賞。その唯一賞を取れなかったのが第72回大会で、足の痙攣による途中棄権でした。

4区の中間あたりで走れなくなって、歩きながら泣いて泣いて、何度も上を向いては涙を拭ってる彼の横を、監督が大丈夫かもうやめるかって言いながらかなり長い間併走していました。
泣きながらどうしてもあきらめないで小田原に向かって歩く中村選手の姿と、とうとう彼を抱きとめて制止した上田監督の姿が、私の一番古い箱根駅伝の記憶です。
中村が泣いています、って実況が叫んでてね・・・本当に見てて辛かった。
あの年は神奈川大学の高嶋選手も4区で棄権し、箱根の厳しさを眼前に見せられた年でした。
73回大会で二人とも見事にリベンジを果たすんですが、(中村選手は華の2区で区間賞・山梨学院は総合2位、高嶋選手は9区を区間2位の走りでつないで神大は総合優勝)、走りにかける選手の気持ちの重さと、監督との絆を見たのが72回大会でした。

次に特筆する記憶はやはり第80回大会でしょうか。
今でこそ「山の神」と言えば順天堂大学の今井選手で私も彼のファンですが、その前に「元祖山の神」とでも言うべき5区の男がいたんですよ。

彼の名は鐘ヶ江幸治。当時筑波大の4年生。

実況も解説も、誰もが彼をノーマークでした。というのも筑波大は出場校では無く、
彼は学連選抜の選手だったからです。
学連選抜と言えば正直「弱い」というのが当時の固定イメージで、強い選手はやはり強い学校に入って出場校からエントリーしてるわけですから、どうしても順位は低くなりがち。学連選抜はオープン扱いなのでそもそも順位は記録されませんし、実況がノーマークなのも仕方ないといえば無かったんです。
実際、彼が襷を受けた時点で選抜は16位でした。

が。

いざ5区が始まってみれば、眼鏡をかけたベンゾウさんみたいな彼がすっとぼけた顔で山を駆け登り、前を走るスペシャリスト達をひょいひょい抜いては置き去りに。
度肝を抜かれた実況が「なんということでしょうか!」をやたら叫ぶ中、怒涛の9人ゴボウ抜きという新記録を叩き出し、前年に5区区間新を出していた東海大の中井選手すら抑えて区間賞を獲得。
その年から創設された個人MVP賞「金栗四三杯」の初代受賞者に輝くという快挙を成し遂げました。

また、彼の激走によって学連選抜は非公式ながら往路7位。
・・・非公式なのがおかしくね?選抜のオープン扱いやめるべきじゃね?
そんな疑問がこの辺りから本格化したんじゃないかと思うのですが、学連選抜は第83回大会から正式に順位が記録されることになりました。

で、そんな物凄かった鐘ヶ江選手のゴボウ抜き記録を、翌年いきなり塗り替えたのが、80年大会では2区を区間10位で走ってた順天堂大学の今井選手だったわけです。

彼の走りに惚れた人は数知れないと思う・・・かっこいいし余裕だし速いっていうか強い。とにかく強い。
まず81回大会で11人抜きを達成して5区ゴボウ抜き新記録を達成。
さらに前々年の東海大の中井選手の記録を2分以上更新して区間新記録達成。
当然の結果として金栗杯も受賞。

翌82回大会では6位で襷を受け、みぞれの吹きすさぶ中を5人抜きの激走。この年から最長区間となった5区でいきなりハードルの高い初代区間記録をぶち立て、順大を往路優勝へ導きました。
当然の結果として金栗杯も受賞。
総合優勝も確実かと思われたのですが、復路でキャプテンの難波選手が脱水症状でブレーキ。それでも必死に襷を繋いで4位に入りました。

そして翌83回大会。5位で襷を受けた時点でトップと4分の差がありました。
確かこの時トップは東海大だったと思いますが、その大学の監督が後に見積もり甘かったと呟いたほど、逃げ切り体制だったわけです。
その差を難なく逆転。多分、5分差ぐらいでも差し返せたんだと思います。
4人ゴボウ抜いて往路優勝。自身の記録も更新して区間新記録達成。順大は復路もトップをキープして念願の総合優勝を果たしました。
ゴールで、OBになった難波選手も一緒に喜んでいたのが嬉しかった。
で、当然のごとく金栗杯をさらっていきましたね。今井さんね。

結果、現在まで主に今井選手のせいで金栗杯は5区の選手に総ナメされたで賞になっています。

その金栗杯をただ一人、5区以外で受賞した選手がいます。
それが東海大学の佐藤悠基選手で、82回大会で1年エースとして3区を走り、いきなり区間新記録を叩き出したもののその年のMVPは今井選手。
しかし翌83回大会で誰もが予想外だった1区を走り、足の痙攣というアクシデントに見舞われながら巧みに走法を切り替えて凌いだ結果、2位に4分以上の差をつけて区間新記録達成。4分差というのも箱根新記録。
足の痙攣無かったらどれだけ差を広げたかわかりません。
さすがにこれはものすご過ぎたか、83回大会の金栗杯は今井選手と佐藤選手の史上初のダブル受賞となりました。

そんなわけで明日の第84回箱根駅伝復路を私はものすごく楽しみにしているわけです。
果たして佐藤選手がどの区間にエントリーされるのか。そしてどんな走りを見せてくれるのか。
結果、金栗賞は初の5区以外の選手の単独受賞になるのか。
それともやはり早稲田の駒野主将が獲得し、本格的に5区で総ナメ賞となるのか。

選手層の厚さと順位から見ると総合優勝に一番近いのは駒澤だと思いますが、東海大は足つっても4分の逆転が可能な男がいるからなあ・・・

楽しみです。

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