忍者ブログ
2007年1月8日設置 サイト→http://warakosu.syarasoujyu.com/
[1418]  [1417]  [1416]  [1415]  [1414]  [1413]  [1412]  [1411]  [1410]  [1409]  [1408


平子100年前Ver。
漫画では戦ってばかりだった隊長達だが、藍染の虚化事件から離反まででも百年経ってるわけで、本来の仕事は戦いよりも事務や会議が圧倒的に多いであろう。
平子の場合、副隊長の藍染に情報を渡せないのだから、たぶんほとんど自分でこなしていたと思われる。藍染が曳船の昇進を知らなかったほど管理は堅かった。
アホなように見えて切れっ切れの隊長。

復帰後は、それらの仕事に加えて雛森のケアも責任範囲に。
舌にピアス開けた謎のチャラ男が彼女の側につくことに面識のない日番谷あたりがだいぶ抵抗してそうだが、その実割と最良の人選だと思う。空気読まずにボケたりツッコんだりして無理やり彼女を笑わせながらなんだかんだで癒してそう。

平子の台詞「上に立つ者は下の者の気持ちは汲んでも顔色は窺ったらあかん」は大好き。続く、「好きなようにやったらええ。それでだれもついて来えへんかったら、器やなかったっちゅうだけの話や」が、概念だけではなく実際にどうやるかを教えてくれる部分で、さらに元気をくれる。これだけで大人買いの元は取れたと言っていい。

この汲むか窺うかの違いは、割と藍染にドンピシャで当てはまる気がする。
例えば、本性ばらす前の藍染が自室に訪ねてきた雛森を優しく迎え入れたシーン。あれは今から考えると、雛森を自室に来るほど追いつめるところから含めて計略的な優しさだったのだろう。求められてから与えるほどポイント稼げる事ないし。
が、部下をそういう計略に嵌めようとするところが既に「顔色を窺う」にあたるのではないだろうか。相手の出方を逐一考えて凌駕していく藍染は、裏を返せば「顔色を窺う」ことしかできない人なのだと思う。
それだって突き詰めればあんなに最強になるわけだけれども、やっぱり器量の狭さが際立って見えるのはそういうところなのかなあという気がする。

「顔色を窺う」というとご機嫌取りや腰を低くするイメージがあるけれど、「相手から過度に影響を受けて反応してしまう」という意味でパワハラなんかも範疇に入ると思う。

・・・またしても平子の話から藍染の話になりつつあるので平子に戻るが、藍染と雛森のあのシーン、もし隊長が平子だったら、彼女が来る前に、ウザがられようが拒否られようが自分から訪ねて行ったと思うということを私は言いたかった。
ヴァイザードとして登場して一護に接触してきた時がまさにこれだったよ。丸出しの自分で行って一護にウザがられも拒否られもしたが、意に介さず翌日も絡んでいった上この先もしつこく絡み続ける宣言。自分の器に自信が無ければできることではない。
結局その後もやりたいようにやって、こっちの経歴などロクに説明しないまま、最終的に一護が包帯洗って返して「アリガトな」の書き置きを残すようになったのだから、平子の自信は文句のつけようも無いほど正しかったと言える。読み返せば読み返すほど凄ぇなこの人。さすが藍染をして完璧な上官と言わしめただけのことはある。また藍染出てきたよちきしょう。

あと、ひよ里に対しても、「わかっとる」って気持ちは汲んでるけど、あれだけ殴られたり蹴られたりしてるのだから顔色を窺っていないことは明らかだった。

破面編、初読の時は敵みたいに見えたから感じ無かったけど、事情がわかってから再読すると平子の器のでかさがやばい。
隊長力では京楽に劣らないと思う。これで後は戦闘さえ・・・戦闘さえ上手くなってくれれば・・・!!
弱いっつーか下手なんだよ!逆撫もっと上手く使えるはずだろ頑張れよ!!
PR
[1418]  [1417]  [1416]  [1415]  [1414]  [1413]  [1412]  [1411]  [1410]  [1409]  [1408

Copyright © 『日記』 All Rights Reserved

Template by ゆうじ

忍者ブログ [PR]