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2007年1月8日設置 サイト→http://warakosu.syarasoujyu.com/
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純文学が読めない、ということがずっとコンプレックスでした。

小学生の時に与えられた「坊ちゃん」を3ページで挫折。親は面白いというけれどもどこが面白いのかわからない。ドリトル先生の方がよほど面白い。
中学生の時に再度「坊ちゃん」にチャレンジ。やはり3ページで挫折。親は面白いというけれども(以下略)。スレイヤーズの方がよほど面白い。
高校生の時に再再度「坊ちゃん」にチャレンジ。なんとか5ページくらいは読んだがそこで挫折。親は面白(以下略)。デルフィニア戦記の方がよほど面白い。

確か大学に入ってからだったと思います。「坊ちゃん」を読破できたのは。その時は一気に読めました。確かに面白かった。けどドリトル先生の方が好き

で、「坊ちゃん」が読めたので他にも文学読もうと思い、森鴎外の短編を読み始めて速攻で挫折。面白いか面白くないかすらわからずとにかく退屈し、純文学がこんなに退屈なもんなら自分は一生読めないだろうと思いました。

この挫折はよくよく私の心に傷を残したと思います。三島由紀夫が神の一手と讃えた鴎外の文を読めない自分はきっと文才なんか無いんだと。坊ちゃんが読めない頃からうすうすわかっていたが、やっぱりやっぱりそうだったかと。
以来、心が卑屈になって純文学にはほとんど手を出さずにいました。てか恐くて読めませんでした。

その上、せめて最近の流行作家の小説ぐらいはと思って何かすごく良さそうなことを書いてある帯の本を2、3冊読んだものの、どうしても面白いと思えなかったときには頭を掻き毟りました。
この絶賛されている本よりも、むしろアガサ・クリスティーや宮部みゆき等のミステリ作家の文章の方が圧倒的に上手いと思う。内容も「ホロー荘の殺人」や「終わりなき夜に生まれつく」の方が深い。という気がする。しかし帯には世の中がものすごい感動にむせび泣いたようなことが書いてある。ってことは自分がおかしいのか。感性が干からびてるのか。
純文学も大衆文学も理解できない。こんな引き出しの狭い人間が文章を書き続けられるはずがない。いつか必ず文というものに飽きて書けなくなる。恐い恐い恐い。
・・・・とずっと思ってました。死の宣告に等しかった

一昨日、会社帰りに書店に寄った際、ふとカミュの「異邦人」を買いました。
仕事が凄まじく暇で、暇なことに疲れてもう何もしたくなく、それでいて電車の中の無為の時間に耐えられそうも無いので何か文字を追っていたいんだけどハラハラドキドキしたくない、むしろ読み始めたらすぐに寝たい。
そんな砂のような心境に、薄くて軽くて純文学で面白くないはずの「異邦人」はちょうどしっくりきたんだと思います。
で、読みました。

・・・・・

生まれて初めて文学を本気で面白いと思いました。


面白い。はんぱじゃない。なんだこれ。
ストーリーを面白いと思った本は山ほどある。が、こんなに一文一節まで面白いと思った本は未だかつて無い。凄い。ようやく純文学の凄さを思い知った。なんか涙出てきた。

これからもっともっと本を読もう。
久しぶりにアグレッシブに思えました。
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