2007年1月8日設置
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内田監督が関西学院大学へ謝罪に行かれ、辞任を表明されました。
ネクタイの色とか校名を言い間違えたとかでさらなる炎上を招きつつあるようですが、しかし私は、この方はこの方なりにできる限り謝ったのだと思いますよ。
ピンクは日大のスクールカラーなのでしょう。正式な場に使うのだと考えて、いささか独りよがりとしても誠意の表れと取る事もできると思います。
そしてもう一つ、
もしかして監督、アメフトのことよく知らんのではないか。
とも思いました。いや、割と真面目に。
そうでなければライバル校の正式名称を知らない理由がわかりませんよ。
この人は自分が何を知らないのかも知らないんですよ。たぶん。
学生時代はオフェンスの選手だったそうで、だとしたら篠竹幹夫監督の下でもオフェンスのコーチだったのでしょうし、アメリカンフットボールはオフェンスとディフェンスがはっきり分かれるスポーツのようです。ディフェンスのことはコーチ任せでよく知らないというのはありえるんじゃないでしょうか。
さらに、各大学のアメフト関係者が「あんな悪質なタックルは見た事が無い」と口を揃えている事から、「レイトタックル」は言葉自体は有名だけれども、今回はあまりにもレイトタックル過ぎてレイトタックルだと思わなかった可能性はあります。
「あれ絶対何かの反則だろ!」「レイトタックルじゃね?」「あそうか!レイトタックルだ!確かに!」みたいな感じで、アメフトをよく知らない監督は普段見たことない反則だから反則だと思ってなかった。
また単純に、反則したところを見ていなかった可能性も考えられます。審判だって見逃してますから。
内田監督はアメフトのことよく知らないからあのタックルがどのくらい悪かったのかもわからなかった。これは結構あり得ると思います。
選手が反則をした。そしてベンチに戻ってきた。
この時、先にディフェンスのコーチが彼をねぎらったら、内田監督は選手の行為はプレーの延長上のものであろうと判断し、自分もねぎらう方に行ってしまう。
先に内田監督が選手をねぎらったら、コーチは彼に楯突けないので自分もねぎらう方に行ってしまう。
内田監督は何が悪いか本当にわかっていなかったので、「あれぐらいやらないと勝てない」と虚勢を張ってしまう。こうした悪循環が起きた可能性があります。
マスコミが苛烈に報道している「独裁者」のイメージにも、私は内田監督を知らないので断言はできませんが、せめて推察可能な別の見方を提示したいです。
前監督の篠竹幹夫氏は、「独自の指導法」を持ち、日大アメフト部の黄金期を築いた名将だったとのことです。また、非常なスパルタ指導であったとのこと。相当個性の強い方だったと思われます。
内田監督はもともとその指導を受けた生徒であり、彼がコーチに就任し篠竹氏の右腕になったとしても、決して対等な関係とはいえなかったと推察します。さらに、内田監督が篠竹氏の下でナンバー2になったのも、彼が個性の強い監督とぶつかることなく実直に指示を遂行する責任感の強い人間だったからではないかとも思います。
これは企業でもよくある形です。トップが傑出した人物である場合は、おそらくベストの形に近いでしょう。
ただ、極端にこの形をとる企業のトップは、自分亡きあとに組織をナンバー2のものにしてはいけない事も大体わかっているものです。ナンバー2は無色透明で改革力の足りない人間であり、それに企業を託すならば自分が生きてるうちにナンバー2向けの組織に改革しておかなければならない。
ソフトバンクやユニクロが後継者探しに頭を悩ましているのはこの理由かと思います。
内田監督の場合は、ナンバー2の位置からそのままトップに就任してしまいました。
指示に従ってきた彼には独自の指導理念がありません。少なくとも、偉大な前任者の色を塗り替えられるほどの吸引力は無い。
そのため、成功した前任者とできるだけ同じ事をしようとします。
これはある程度までは上手く行くものの、そのうち行き詰ります。スポーツであれば、滅茶苦茶練習して強くなっていたけれどライバルも何かしらの方法で追いついてきたので勝てなくなった、等。
こうした場合、理念を持つ指導者であればその理念を改革して、例えばスパルタに加えて情報戦略を組み込むとかそういう風に発展させることができます。
が、他者の理念を借りているだけの自我の無い指導者は、その理念を変える事ができず、スパルタを加速させるといった手段に出てしまいます。そしてスパルタ教育が体罰になっていく。
ここには「偉大なあの方の理念が悪かったなんて誰にも言わせない」といった責任感の強さゆえの思いこみがあったりもするのです。その偉大な人が「気にするな。もう俺の時代じゃない。お前の好きにやれ」と言ってあげるだけで大分楽になるものですが、それが故人である場合は呪縛が解かれる機会は失われます。
そしてもう一方で環境がいびつに育ってしまっています。
特にスパルタ論を引き継いだタイプの場合、一生懸命前任者の真似をしてスパルタしますが、それは熱意から来るものではなく虚勢から来るものになってしまう。
虚勢であっても、今まで影の存在であったぶん畏敬されるのは気持ちが良い。次第に自分でも虚勢ではなく本当にそういう人間だった気になってくる。
しかし、虚実の差は周りの人間が対立した意見を言った時に出ます。
理念を持って熱意から行動している人間は、対立意見にちゃんとぶつかることができます。ぶつかった上で解決策を導き出します。
しかし虚勢で行動している人間は、ぶつかる事ができません。風船と同じなのでぶつかったら自分が割れてしまう。非常に揺るがされてどうしていいかわからなくなってしまいます。
なので、対立する人間を極端に遠ざけようとするのです。その結果、イエスマンしか周りにいなくなる。
コーチ陣が内田監督の教え子で固められている場合はイエスマン度が非常に強くなりましょうし、かつ監督も愛弟子を守ろうとするので問題の隠ぺいにつながる。
自分と違う観点を持って意見を言える人間を必ず側に置いて尊重する事は仕事の上でとても大事です。怠ると組織は大事故を起こす。粉飾決算で飛ぶ企業が大体これですよ。
逆境の時ほどこういう人は大事にしなければならない。だって、逆境に陥ったのは自分がやってきた事が何か間違っていたせいですからね。辛くても自分以外の視点を積極的に求めなければ打開できません。
イエスマンしかいない状態でハリボテのトップがいる。
その上で、東大アメフト部のヘッドコーチが仰った「日大はむしろ反則が少ないチームだった。なぜこんな反則をしたのかわからない」という言葉を思いだすと、今回の問題は本当に、色んな事が重なった上で起きたケースなんじゃないかとも思うのです。
つまり、日大はむしろ反則を受ける側であった。その不満が選手やコーチにつもって行った。
「向こうがそうくるならうちだってもっとやっていいはずだ!」みたいな意見が出始める。
監督は周囲の歓心を買いたいのと虚勢を張る為に、より過激な表現でそれを言う。「相手のQBを潰せばいい」。周りのイエスマンがそうだそうだと言いだす。監督は反則の危険性を知らないのでどこで止めればいいかわからない。監督が止めないので周りも止まってはいけないと考える。
そうだそうだ言われてるうちに「相手のQBを潰す」という事が画期的な戦法のように思えてくる。理念なき監督には守るべき一線も把握できない。「なんとしても絶対潰せ」と言う指示になる。
こうした結果があのタックルにつながり、その後の全ての対応のまずさにつながった。
一つの見方ですが、こうした事は起こりえます。
私は内田監督が巨悪であるというよりも、こういう微妙な問題の蓄積の方が現実的にあるんじゃないかと思うのです。
日大が内田監督を過剰に庇うのも、彼が権力者だからというより、彼が悪人じゃ無い事を内部の人は知ってるからじゃないでしょうか。個人間では義理難く真面目な人なのでは。
当初非難の対象となった「8月まで指導を自粛」というのも、真面目なマニュアル人間ゆえにシーズンが始まる9月からはちゃんと指導をしなければと考えられたのではないかと思えます。
個性的な指導者に気に入られ、ナンバー2になりやすく、かつその後も皆に都合がいいので祭り上げられやすい、そういう人なんじゃないでしょうか。
そういう人間がトップにいるのは確かに問題があるのかもしれませんが、ちょっと何かが違っただけで、良い組織として機能したのかもしれないとも思うのです。
ルイ16世も、マリーアントワネットと結婚してなきゃ庶民的でいけてる王様だったかもしれません。
東電の清水正孝元社長も、震災が起きて無ければ無難な社長だったでしょう。内田監督の対応があの時の清水社長に丸かぶりしてる気がしてならない。
逆に、不祥事にクソ強い社長と言えば孫正義氏などがそれですけれども、じゃあ彼が日大の理事に入って平穏無事に済むかと言ったらまた全然別の話ですよこれは。
以上はあくまで私見ですが、一つの見方として提示したいです。
こういう問題を一人の「極悪人」のせいにしてしまうと、自分達は悪人じゃないから大丈夫だと思った別の組織が同じ失敗を繰り返します。事件の大半は、普通の人が馬鹿な事して起こしてるもんですよ。
この問題で一番良かった結末は、加害者が反省し謝罪し善後策を講じ、被害者が治って赦し、誰一人欠ける事無くアメフトのために協力していく、ということだったと思ってます。
信頼関係がぶち壊れ過ぎてこの結末には至れなくなりましたが、しかしせめてできるだけ近い着地はすべきだと思うのです。
特に、被害者が赦しづらい空気は徒に作るべきではないと思います。
長くなりましたが。
全ての関係者にとって、できる限り建設的な決着になられることを祈ってます。
ネクタイの色とか校名を言い間違えたとかでさらなる炎上を招きつつあるようですが、しかし私は、この方はこの方なりにできる限り謝ったのだと思いますよ。
ピンクは日大のスクールカラーなのでしょう。正式な場に使うのだと考えて、いささか独りよがりとしても誠意の表れと取る事もできると思います。
そしてもう一つ、
もしかして監督、アメフトのことよく知らんのではないか。
とも思いました。いや、割と真面目に。
そうでなければライバル校の正式名称を知らない理由がわかりませんよ。
この人は自分が何を知らないのかも知らないんですよ。たぶん。
学生時代はオフェンスの選手だったそうで、だとしたら篠竹幹夫監督の下でもオフェンスのコーチだったのでしょうし、アメリカンフットボールはオフェンスとディフェンスがはっきり分かれるスポーツのようです。ディフェンスのことはコーチ任せでよく知らないというのはありえるんじゃないでしょうか。
さらに、各大学のアメフト関係者が「あんな悪質なタックルは見た事が無い」と口を揃えている事から、「レイトタックル」は言葉自体は有名だけれども、今回はあまりにもレイトタックル過ぎてレイトタックルだと思わなかった可能性はあります。
「あれ絶対何かの反則だろ!」「レイトタックルじゃね?」「あそうか!レイトタックルだ!確かに!」みたいな感じで、アメフトをよく知らない監督は普段見たことない反則だから反則だと思ってなかった。
また単純に、反則したところを見ていなかった可能性も考えられます。審判だって見逃してますから。
内田監督はアメフトのことよく知らないからあのタックルがどのくらい悪かったのかもわからなかった。これは結構あり得ると思います。
選手が反則をした。そしてベンチに戻ってきた。
この時、先にディフェンスのコーチが彼をねぎらったら、内田監督は選手の行為はプレーの延長上のものであろうと判断し、自分もねぎらう方に行ってしまう。
先に内田監督が選手をねぎらったら、コーチは彼に楯突けないので自分もねぎらう方に行ってしまう。
内田監督は何が悪いか本当にわかっていなかったので、「あれぐらいやらないと勝てない」と虚勢を張ってしまう。こうした悪循環が起きた可能性があります。
マスコミが苛烈に報道している「独裁者」のイメージにも、私は内田監督を知らないので断言はできませんが、せめて推察可能な別の見方を提示したいです。
前監督の篠竹幹夫氏は、「独自の指導法」を持ち、日大アメフト部の黄金期を築いた名将だったとのことです。また、非常なスパルタ指導であったとのこと。相当個性の強い方だったと思われます。
内田監督はもともとその指導を受けた生徒であり、彼がコーチに就任し篠竹氏の右腕になったとしても、決して対等な関係とはいえなかったと推察します。さらに、内田監督が篠竹氏の下でナンバー2になったのも、彼が個性の強い監督とぶつかることなく実直に指示を遂行する責任感の強い人間だったからではないかとも思います。
これは企業でもよくある形です。トップが傑出した人物である場合は、おそらくベストの形に近いでしょう。
ただ、極端にこの形をとる企業のトップは、自分亡きあとに組織をナンバー2のものにしてはいけない事も大体わかっているものです。ナンバー2は無色透明で改革力の足りない人間であり、それに企業を託すならば自分が生きてるうちにナンバー2向けの組織に改革しておかなければならない。
ソフトバンクやユニクロが後継者探しに頭を悩ましているのはこの理由かと思います。
内田監督の場合は、ナンバー2の位置からそのままトップに就任してしまいました。
指示に従ってきた彼には独自の指導理念がありません。少なくとも、偉大な前任者の色を塗り替えられるほどの吸引力は無い。
そのため、成功した前任者とできるだけ同じ事をしようとします。
これはある程度までは上手く行くものの、そのうち行き詰ります。スポーツであれば、滅茶苦茶練習して強くなっていたけれどライバルも何かしらの方法で追いついてきたので勝てなくなった、等。
こうした場合、理念を持つ指導者であればその理念を改革して、例えばスパルタに加えて情報戦略を組み込むとかそういう風に発展させることができます。
が、他者の理念を借りているだけの自我の無い指導者は、その理念を変える事ができず、スパルタを加速させるといった手段に出てしまいます。そしてスパルタ教育が体罰になっていく。
ここには「偉大なあの方の理念が悪かったなんて誰にも言わせない」といった責任感の強さゆえの思いこみがあったりもするのです。その偉大な人が「気にするな。もう俺の時代じゃない。お前の好きにやれ」と言ってあげるだけで大分楽になるものですが、それが故人である場合は呪縛が解かれる機会は失われます。
そしてもう一方で環境がいびつに育ってしまっています。
特にスパルタ論を引き継いだタイプの場合、一生懸命前任者の真似をしてスパルタしますが、それは熱意から来るものではなく虚勢から来るものになってしまう。
虚勢であっても、今まで影の存在であったぶん畏敬されるのは気持ちが良い。次第に自分でも虚勢ではなく本当にそういう人間だった気になってくる。
しかし、虚実の差は周りの人間が対立した意見を言った時に出ます。
理念を持って熱意から行動している人間は、対立意見にちゃんとぶつかることができます。ぶつかった上で解決策を導き出します。
しかし虚勢で行動している人間は、ぶつかる事ができません。風船と同じなのでぶつかったら自分が割れてしまう。非常に揺るがされてどうしていいかわからなくなってしまいます。
なので、対立する人間を極端に遠ざけようとするのです。その結果、イエスマンしか周りにいなくなる。
コーチ陣が内田監督の教え子で固められている場合はイエスマン度が非常に強くなりましょうし、かつ監督も愛弟子を守ろうとするので問題の隠ぺいにつながる。
自分と違う観点を持って意見を言える人間を必ず側に置いて尊重する事は仕事の上でとても大事です。怠ると組織は大事故を起こす。粉飾決算で飛ぶ企業が大体これですよ。
逆境の時ほどこういう人は大事にしなければならない。だって、逆境に陥ったのは自分がやってきた事が何か間違っていたせいですからね。辛くても自分以外の視点を積極的に求めなければ打開できません。
イエスマンしかいない状態でハリボテのトップがいる。
その上で、東大アメフト部のヘッドコーチが仰った「日大はむしろ反則が少ないチームだった。なぜこんな反則をしたのかわからない」という言葉を思いだすと、今回の問題は本当に、色んな事が重なった上で起きたケースなんじゃないかとも思うのです。
つまり、日大はむしろ反則を受ける側であった。その不満が選手やコーチにつもって行った。
「向こうがそうくるならうちだってもっとやっていいはずだ!」みたいな意見が出始める。
監督は周囲の歓心を買いたいのと虚勢を張る為に、より過激な表現でそれを言う。「相手のQBを潰せばいい」。周りのイエスマンがそうだそうだと言いだす。監督は反則の危険性を知らないのでどこで止めればいいかわからない。監督が止めないので周りも止まってはいけないと考える。
そうだそうだ言われてるうちに「相手のQBを潰す」という事が画期的な戦法のように思えてくる。理念なき監督には守るべき一線も把握できない。「なんとしても絶対潰せ」と言う指示になる。
こうした結果があのタックルにつながり、その後の全ての対応のまずさにつながった。
一つの見方ですが、こうした事は起こりえます。
私は内田監督が巨悪であるというよりも、こういう微妙な問題の蓄積の方が現実的にあるんじゃないかと思うのです。
日大が内田監督を過剰に庇うのも、彼が権力者だからというより、彼が悪人じゃ無い事を内部の人は知ってるからじゃないでしょうか。個人間では義理難く真面目な人なのでは。
当初非難の対象となった「8月まで指導を自粛」というのも、真面目なマニュアル人間ゆえにシーズンが始まる9月からはちゃんと指導をしなければと考えられたのではないかと思えます。
個性的な指導者に気に入られ、ナンバー2になりやすく、かつその後も皆に都合がいいので祭り上げられやすい、そういう人なんじゃないでしょうか。
そういう人間がトップにいるのは確かに問題があるのかもしれませんが、ちょっと何かが違っただけで、良い組織として機能したのかもしれないとも思うのです。
ルイ16世も、マリーアントワネットと結婚してなきゃ庶民的でいけてる王様だったかもしれません。
東電の清水正孝元社長も、震災が起きて無ければ無難な社長だったでしょう。内田監督の対応があの時の清水社長に丸かぶりしてる気がしてならない。
逆に、不祥事にクソ強い社長と言えば孫正義氏などがそれですけれども、じゃあ彼が日大の理事に入って平穏無事に済むかと言ったらまた全然別の話ですよこれは。
以上はあくまで私見ですが、一つの見方として提示したいです。
こういう問題を一人の「極悪人」のせいにしてしまうと、自分達は悪人じゃないから大丈夫だと思った別の組織が同じ失敗を繰り返します。事件の大半は、普通の人が馬鹿な事して起こしてるもんですよ。
この問題で一番良かった結末は、加害者が反省し謝罪し善後策を講じ、被害者が治って赦し、誰一人欠ける事無くアメフトのために協力していく、ということだったと思ってます。
信頼関係がぶち壊れ過ぎてこの結末には至れなくなりましたが、しかしせめてできるだけ近い着地はすべきだと思うのです。
特に、被害者が赦しづらい空気は徒に作るべきではないと思います。
長くなりましたが。
全ての関係者にとって、できる限り建設的な決着になられることを祈ってます。
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