2007年1月8日設置
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日大のタックル問題について。
怒りというか悲しくなってきたので語ります。大学ともあろう組織が、こんな。
大渕憲一氏による「謝罪の研究」という本があります。謝罪の本質を非常にわかりやすく書いた名著です。その冒頭の内容をまとめますと。
・謝罪が求められる場合は多く、被害者と加害者がいる。
・被害者は様々な意味で傷ついている。その原因は失った物への悲しみであったり、怒りであったり、同じ事が繰り返されないかと言う不安であったりする。
・その原因を取り除き、被害者の傷を癒す行為が謝罪である。
謝罪の本質はこれに尽きると思います。
また、公的に頭を下げて「謝罪」するということは、自らを惨めな地位に落す行為であり、そうすることで被害者の処罰感情を満たして怒りを和らげる、と言うことも言及されています。
これはもう、ほんと広く知って欲しい謝罪の理念だと思います。
上手いとか下手とかではなく、こうした本質をきちんと掴んでいれば、物事は泥沼化しないはずです。
ここからは私見になります。
日大と内田監督は、「謝罪」というものを勘違いされているのだと思います。
彼らは、「自分達は悪くない。だから謝らない」という態度をとっているように見えます。
「悪い事をしたら謝る」は、子供の理屈だと私は思います。
なぜ子供には「悪い事をしたら謝る」が通用するかというと、子供の喧嘩には親なり先生なり、必ず「何が悪いか」をはっきりして双方に飲み込ませてくれる第三者がいるからです。
「ここが悪いからAちゃんが謝りなさい」「Aちゃんが謝ったのだからBちゃんは許してあげなさい」という、そういう采配を第三者がしてくれるのです。
大人の世界にそんな第三者はいません。いるとしたら裁判所です。最終手段です。
だから、大人は謝罪の本質を理解しなければいけない。
視野を広く持ち、何が被害者で何が加害者なのか、被害者は何を求めているのか、そのために自分は何ができるのかを、各個人が客観的に意識しなければならない。それが社会性というものです。
逆に言うと、社会性のまだ低い子供はこれができないから第三者が存在しなければならないのです。
「自分は悪くない」だけしか考えられない人間は、いくつになろうと子供の器です。
到底、組織のトップに立つべき器ではないし、学生を入れるべき器でもありません。
こうした人の中には、「自分が謝ったら組織に傷がつく」と考える人がいます。
が、それは大きな間違いです。トップというものは所詮組織の駒に過ぎません。自分と組織をイコールで考える事は、組織の私物化であり、傲慢な思考です。また、それがいかに重要な駒にせよ、駒が一つが欠けたことで瓦解するような脆い組織を作る人間は、やはりトップに立つべき人ではありません。
内田監督がどんな方か存じ上げません。良いところもきっとたくさんあるのでしょう。
私はアメフトの事は知りませんから、あのタックルがどんなに悪質な行為なのかはわかりません。
また、日付以外は全て誤報と言わしめる各スポーツ紙の煽り報道を鵜呑みにするのもどうかと思います。
しかし、関学大の選手が入院するような大怪我をし、それをさせたのは日大の選手である、これは事実です。この時点で被害者と加害者の関係は成立しています。
加害者は被害者の傷を癒す義務を負う、なぜなら被害者を癒せる可能性を一番持っているのは加害者に他ならないからです。
この場合の加害者はタックルをした選手でしょう。被害者の怒りはまず加害者に向きます。
責任者というものは、選手のために被害者の感情を率先して和らげに行くべきです。ちゃんとした上の人が加害者の人となりを保証し一緒に謝ってくれる事で、被害者は加害者を見直し、怒りを和らげ、傷を癒すのです。そして被害者の傷が癒えた事により、加害者は赦される。部下を赦してもらうにはどうすれば良いか考え行動する、責任とはそういうものでしょう。
また、事は学生スポーツです。選手間にしこりを残さず、未来の環境をあらゆる意味で構築するために、指導者であるなら全力を尽くすべきでしょう。
加害した事が明らかであるにも関わらず、被害者に寄りそうことすらしない。あまつさえ、選手に責任転嫁さえしている。
それは断じて責任者の器ではありません。ただちに態度を改めるか、それができなければ人を指導する立場から退くべきです。
今回、関学大が厳しく追及している理由は、自分の選手を傷つけたことももちろんあるでしょうが、日大に誤った価値観を持つ選手が育ってしまっていて、それを救うにはこうするしか無いと言うのもあると思います。
視野の広い責任者であれば、味方も敵も全員なんとかしてやりたいと思うのが普通ではないでしょうか。
内田監督のような人間はどこにでもいるので、この人だけならまだいいです。
しかし日大には、本当に自分の考えがまともなのかよくよく考えてほしいです。とても人を導く組織の対応だとは思えない。異常です。
卒業生や在校生にとって、母校が異常だというのは非常に辛いことですよ。
本当に本当によく省みて欲しい。大学としてまともな誇りを持ってほしいと、切に思います。
なんか、ほんと悲しいです。
怒りというか悲しくなってきたので語ります。大学ともあろう組織が、こんな。
大渕憲一氏による「謝罪の研究」という本があります。謝罪の本質を非常にわかりやすく書いた名著です。その冒頭の内容をまとめますと。
・謝罪が求められる場合は多く、被害者と加害者がいる。
・被害者は様々な意味で傷ついている。その原因は失った物への悲しみであったり、怒りであったり、同じ事が繰り返されないかと言う不安であったりする。
・その原因を取り除き、被害者の傷を癒す行為が謝罪である。
謝罪の本質はこれに尽きると思います。
また、公的に頭を下げて「謝罪」するということは、自らを惨めな地位に落す行為であり、そうすることで被害者の処罰感情を満たして怒りを和らげる、と言うことも言及されています。
これはもう、ほんと広く知って欲しい謝罪の理念だと思います。
上手いとか下手とかではなく、こうした本質をきちんと掴んでいれば、物事は泥沼化しないはずです。
ここからは私見になります。
日大と内田監督は、「謝罪」というものを勘違いされているのだと思います。
彼らは、「自分達は悪くない。だから謝らない」という態度をとっているように見えます。
「悪い事をしたら謝る」は、子供の理屈だと私は思います。
なぜ子供には「悪い事をしたら謝る」が通用するかというと、子供の喧嘩には親なり先生なり、必ず「何が悪いか」をはっきりして双方に飲み込ませてくれる第三者がいるからです。
「ここが悪いからAちゃんが謝りなさい」「Aちゃんが謝ったのだからBちゃんは許してあげなさい」という、そういう采配を第三者がしてくれるのです。
大人の世界にそんな第三者はいません。いるとしたら裁判所です。最終手段です。
だから、大人は謝罪の本質を理解しなければいけない。
視野を広く持ち、何が被害者で何が加害者なのか、被害者は何を求めているのか、そのために自分は何ができるのかを、各個人が客観的に意識しなければならない。それが社会性というものです。
逆に言うと、社会性のまだ低い子供はこれができないから第三者が存在しなければならないのです。
「自分は悪くない」だけしか考えられない人間は、いくつになろうと子供の器です。
到底、組織のトップに立つべき器ではないし、学生を入れるべき器でもありません。
こうした人の中には、「自分が謝ったら組織に傷がつく」と考える人がいます。
が、それは大きな間違いです。トップというものは所詮組織の駒に過ぎません。自分と組織をイコールで考える事は、組織の私物化であり、傲慢な思考です。また、それがいかに重要な駒にせよ、駒が一つが欠けたことで瓦解するような脆い組織を作る人間は、やはりトップに立つべき人ではありません。
内田監督がどんな方か存じ上げません。良いところもきっとたくさんあるのでしょう。
私はアメフトの事は知りませんから、あのタックルがどんなに悪質な行為なのかはわかりません。
また、日付以外は全て誤報と言わしめる各スポーツ紙の煽り報道を鵜呑みにするのもどうかと思います。
しかし、関学大の選手が入院するような大怪我をし、それをさせたのは日大の選手である、これは事実です。この時点で被害者と加害者の関係は成立しています。
加害者は被害者の傷を癒す義務を負う、なぜなら被害者を癒せる可能性を一番持っているのは加害者に他ならないからです。
この場合の加害者はタックルをした選手でしょう。被害者の怒りはまず加害者に向きます。
責任者というものは、選手のために被害者の感情を率先して和らげに行くべきです。ちゃんとした上の人が加害者の人となりを保証し一緒に謝ってくれる事で、被害者は加害者を見直し、怒りを和らげ、傷を癒すのです。そして被害者の傷が癒えた事により、加害者は赦される。部下を赦してもらうにはどうすれば良いか考え行動する、責任とはそういうものでしょう。
また、事は学生スポーツです。選手間にしこりを残さず、未来の環境をあらゆる意味で構築するために、指導者であるなら全力を尽くすべきでしょう。
加害した事が明らかであるにも関わらず、被害者に寄りそうことすらしない。あまつさえ、選手に責任転嫁さえしている。
それは断じて責任者の器ではありません。ただちに態度を改めるか、それができなければ人を指導する立場から退くべきです。
今回、関学大が厳しく追及している理由は、自分の選手を傷つけたことももちろんあるでしょうが、日大に誤った価値観を持つ選手が育ってしまっていて、それを救うにはこうするしか無いと言うのもあると思います。
視野の広い責任者であれば、味方も敵も全員なんとかしてやりたいと思うのが普通ではないでしょうか。
内田監督のような人間はどこにでもいるので、この人だけならまだいいです。
しかし日大には、本当に自分の考えがまともなのかよくよく考えてほしいです。とても人を導く組織の対応だとは思えない。異常です。
卒業生や在校生にとって、母校が異常だというのは非常に辛いことですよ。
本当に本当によく省みて欲しい。大学としてまともな誇りを持ってほしいと、切に思います。
なんか、ほんと悲しいです。
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