忍者ブログ
2007年1月8日設置 サイト→http://warakosu.syarasoujyu.com/
[1508]  [1507]  [1506]  [1505]  [1504]  [1503]  [1502]  [1501]  [1500]  [1499]  [1498
「司会者」は本日の飲み会の鉄板ネタになってました。

関係者の記者会見が全て出揃い、警察も動き、国も強制的に入るということで、部外者が怒る必要も無くなって、タックル問題は再び関係者間で解決する問題に戻ったと思いました。
関係者が当初よりだいぶ重く増えていますけども。
私がここに書くのもこれで終わりにします。

現在の報道は書き手が怒り狂っているので、燃料にはなっても判断材料にはならないと思ってます。嘘か本当かというのは、批判と弁護が両方揃って初めて検証できることで、だから裁判には弁護人がいる。
「あの記事がああいった!」ではなく、今は材料になりうるものを見て考えてみるしかないです。
自分がこの人になったらこの行動をする意味は何か、この立場になったらはたしてこう言うだろうか、できるだけリアルに想像するしかない。さらに自分では無く自分とタイプの違う職場のAさんなどを当てはめて想像していく。結論を一つに絞らずたくさん出して、どれがどれだけありうるか、その一つ一つの積み重ねで何が一番真実に近いかを考えて行くしかないです。
要は、頭の中でひたすら裁判してみるしかない。
弁護の記事がちゃんとあれば、批判の記事も材料になりうるんですけど、今はそんなもん絶対出てこないと思うので、批判の記事も「こういう事象についてこういう風に書いた記事」止まりで、信憑度不明になってしまう。

今のところは反則の動画と記者会見だけが、何のフィルターもかかっていない材料かと思います。だから私は、これを繰り返し繰り返し見るし、読む。読むたびに司会者の存在感の増し方が神がかってるなと思うけど、読む。不快になってもその不快感がどうして沸くのか、自分の感情は本当に一般的なのか、自分の方が間違っているのではないか、それを考える事で見えてくるものがある。
彼らの言ってる事が本当か嘘かというのは、考える分にはどうでも良い事です。どっちのパターンも考えるから。

こういうケースでは、何年か後に、冷静なライターが関係者を取材して、改めて検証する記事を書くのではないでしょうか。でなければ判決文。いつかそれを読みたいですね。

元監督もコーチも日大も、別に私達の好奇心や処罰感情を満たす必要は無いですし、世間の事は考えなくていいですよ。
今はただ、学生の事を考えて欲しい。被害者の学生、加害者の学生、そして在校生、卒業生。
彼らの事だけを考えて行動して欲しい。それを願うだけです。
それだけの事が、どうしてできなかったんだろう。
PR
[1508]  [1507]  [1506]  [1505]  [1504]  [1503]  [1502]  [1501]  [1500]  [1499]  [1498

Copyright © 『日記』 All Rights Reserved

Template by ゆうじ

忍者ブログ [PR]