2007年1月8日設置
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今から考えればあれはギフテッドだったせいなのか、という辛い思い出の具体例を挙げてみます。
①女友達の愚痴を聞くのが下手
これが筆頭に挙がるだけでどんだけ生きづらかったかが特に女性にはわかってもらえるんじゃないでしょうか。
誰だって愚痴を聞かされるのはいい気持ちするもんじゃないですけど、私の場合はおそらく、普通の人より他人の話を聞き流すことができません。
聞いた話が全て我が事のようにありありと想像でき、ものすごく共感するために、ものすごくストレスも感じます。
で、そこまでならまあ問題ないんですが、状況から共感はしても、そこから出る結論が違うんですよ。
愚痴に対して、「それならこうしたらいいんじゃないの?」って考えてしまう。嫌なら自分で打開すればいいじゃないの。全然できないことじゃないよ、と。
私も人生で学習したので、それを初手から言うようなことは大人になってからは無いんですが、それでも何度も何度も毎日同じ愚痴をしてこられると、辛さの蓄積が爆発していずれ言ってしまうわけです。
そうすると相手は「江戸女さんにはわからないのよ!ひどい!冷たい!」みたいなことになるわけです。「聞いてくれるだけでいいのに優しくない!」と。
こっちはおそらく誰よりも共感してるのにも関わらず、共感してくれない相手として断定され、そんなことを繰り返すうちに自分自身もまた、共感性が低くて思いやりがない人間なんだと思い込むようになります。
②嫌なことを忘れることができない
「執念深い」と思われやすい性質です。まあ実際問題執念深くはなってしまう。記憶力が良いので人にされた嫌なこと、特に理不尽で理由がつかない仕打ちは忘れない。
この「忘れない」は、臥薪嘗胆の努力なんかをしなくても、当時の感情を当時そのままにいつでも思い出せてしまうという意味になります。
なので例えば、十数年前に某上司から消費税1円の入りくり(業務的に何の支障もない)で怒鳴られた件とか、その某上司と現在の関係は決して悪くはないにも関わらず、笑い話に風化できないのです。
これは非常に疲れることです。
③嬉しい記憶がそこまで残ってない
記憶力良いのになんでやねんという話なんですが。
まず「褒められて嬉しい」が薄いんですよ。自分で普通にやってるだけなんで。想定内のことを心に残るほど嬉しいとは思えないでしょう。
秀才型の子供とギフテッドの違いの一つなんだそうですが、秀才型の子供は努力をして成果を勝ち取るので「達成感」というものがあるらしいですね。
ギフテッドそれ無いんですよ。努力してないから。「普通にしていればできる」が当然になっている。
登山やマラソンも、学校でするくらいのものは「登れば山頂につく」「走ればゴールできる」ようにマネジメントされていますから、その達成は当然の帰結を迎えただけで「自分が頑張ったこと」だとは思えないんです。よって達成感もない。少なくとも私はそうでした。
達成感や意外性がない「喜び」は、浅いですよ。やはり。
あるいは「思いがけず人に助けてもらった喜び」というのは強く感じるんですが、同世代から抜けてるのがギフテッドなので助けてもらう機会が非常に少ないです。
本当は助けてほしい時も放置されるケースの方が多い。
なので、事実としては褒められたことの方が絶対多いはずとはわかっているんですが、「思いがけず褒められた」より「理不尽に怒られた」ことが強い記憶として残っています。
③可愛くない
これな。女の子としてはもうな。色々詰むよ。
ルーチンワークは即飽きるため毎日化粧したくない、努力と忍耐の癖がついてないため寒い・痛いを我慢してまでお洒落をしたくない、合コンで男達の背伸びを全部見抜く、そもそも合コンよりキノコの観察会に行ってしまうなど、ギフテッドのせいでダメだったところが色々ありました。ギフテッドのせいで。
・・・いやネットで「ギフテッドはユニセックスな見た目の人が多いです。男女の枠にとらわれない考え方をするためです」とか書いてあったんですけど、違うと思う。子供のころから怠け癖がつくからだと思う。
男は筋トレ、女は化粧、モテは絶対的に努力がモノを言うんだよ。
何もしなかったらそら爺か婆かわからんようになっていくわ。
真面目に考察すると、ギフテッドは幼少期から親に褒められ周囲に凄いと言われて育つので、虚栄心が満たされる傾向にあり、努力してまで気を引く必要性を感じないんだと思います。
また、同世代との集まりは一人でいるよりもずっと孤独を感じるので、不特定多数にモテることが楽しい事だと思えないのもあるんじゃないでしょうか。
それよりも、ひとりでいいから自分をちゃんとわかってくれる人が欲しい。それが小さなころから切実な欲求になると思います。
一般的な「白馬の王子様思考」と異なるのは、王子に容姿より知能指数と包容力が求められる点でしょうか。
つまり、ほとんど初対面の王子の顔見てついていった白雪姫より、3回城から逃げ出して王子が自分を特定できるか試したシンデレラの方がたぶんIQ高い。
つらつらと自分語りしましたけれども。
上記はあくまで私の場合としてとらえていただければと思います。
①女友達の愚痴を聞くのが下手
これが筆頭に挙がるだけでどんだけ生きづらかったかが特に女性にはわかってもらえるんじゃないでしょうか。
誰だって愚痴を聞かされるのはいい気持ちするもんじゃないですけど、私の場合はおそらく、普通の人より他人の話を聞き流すことができません。
聞いた話が全て我が事のようにありありと想像でき、ものすごく共感するために、ものすごくストレスも感じます。
で、そこまでならまあ問題ないんですが、状況から共感はしても、そこから出る結論が違うんですよ。
愚痴に対して、「それならこうしたらいいんじゃないの?」って考えてしまう。嫌なら自分で打開すればいいじゃないの。全然できないことじゃないよ、と。
私も人生で学習したので、それを初手から言うようなことは大人になってからは無いんですが、それでも何度も何度も毎日同じ愚痴をしてこられると、辛さの蓄積が爆発していずれ言ってしまうわけです。
そうすると相手は「江戸女さんにはわからないのよ!ひどい!冷たい!」みたいなことになるわけです。「聞いてくれるだけでいいのに優しくない!」と。
こっちはおそらく誰よりも共感してるのにも関わらず、共感してくれない相手として断定され、そんなことを繰り返すうちに自分自身もまた、共感性が低くて思いやりがない人間なんだと思い込むようになります。
②嫌なことを忘れることができない
「執念深い」と思われやすい性質です。まあ実際問題執念深くはなってしまう。記憶力が良いので人にされた嫌なこと、特に理不尽で理由がつかない仕打ちは忘れない。
この「忘れない」は、臥薪嘗胆の努力なんかをしなくても、当時の感情を当時そのままにいつでも思い出せてしまうという意味になります。
なので例えば、十数年前に某上司から消費税1円の入りくり(業務的に何の支障もない)で怒鳴られた件とか、その某上司と現在の関係は決して悪くはないにも関わらず、笑い話に風化できないのです。
これは非常に疲れることです。
③嬉しい記憶がそこまで残ってない
記憶力良いのになんでやねんという話なんですが。
まず「褒められて嬉しい」が薄いんですよ。自分で普通にやってるだけなんで。想定内のことを心に残るほど嬉しいとは思えないでしょう。
秀才型の子供とギフテッドの違いの一つなんだそうですが、秀才型の子供は努力をして成果を勝ち取るので「達成感」というものがあるらしいですね。
ギフテッドそれ無いんですよ。努力してないから。「普通にしていればできる」が当然になっている。
登山やマラソンも、学校でするくらいのものは「登れば山頂につく」「走ればゴールできる」ようにマネジメントされていますから、その達成は当然の帰結を迎えただけで「自分が頑張ったこと」だとは思えないんです。よって達成感もない。少なくとも私はそうでした。
達成感や意外性がない「喜び」は、浅いですよ。やはり。
あるいは「思いがけず人に助けてもらった喜び」というのは強く感じるんですが、同世代から抜けてるのがギフテッドなので助けてもらう機会が非常に少ないです。
本当は助けてほしい時も放置されるケースの方が多い。
なので、事実としては褒められたことの方が絶対多いはずとはわかっているんですが、「思いがけず褒められた」より「理不尽に怒られた」ことが強い記憶として残っています。
③可愛くない
これな。女の子としてはもうな。色々詰むよ。
ルーチンワークは即飽きるため毎日化粧したくない、努力と忍耐の癖がついてないため寒い・痛いを我慢してまでお洒落をしたくない、合コンで男達の背伸びを全部見抜く、そもそも合コンよりキノコの観察会に行ってしまうなど、ギフテッドのせいでダメだったところが色々ありました。ギフテッドのせいで。
・・・いやネットで「ギフテッドはユニセックスな見た目の人が多いです。男女の枠にとらわれない考え方をするためです」とか書いてあったんですけど、違うと思う。子供のころから怠け癖がつくからだと思う。
男は筋トレ、女は化粧、モテは絶対的に努力がモノを言うんだよ。
何もしなかったらそら爺か婆かわからんようになっていくわ。
真面目に考察すると、ギフテッドは幼少期から親に褒められ周囲に凄いと言われて育つので、虚栄心が満たされる傾向にあり、努力してまで気を引く必要性を感じないんだと思います。
また、同世代との集まりは一人でいるよりもずっと孤独を感じるので、不特定多数にモテることが楽しい事だと思えないのもあるんじゃないでしょうか。
それよりも、ひとりでいいから自分をちゃんとわかってくれる人が欲しい。それが小さなころから切実な欲求になると思います。
一般的な「白馬の王子様思考」と異なるのは、王子に容姿より知能指数と包容力が求められる点でしょうか。
つまり、ほとんど初対面の王子の顔見てついていった白雪姫より、3回城から逃げ出して王子が自分を特定できるか試したシンデレラの方がたぶんIQ高い。
つらつらと自分語りしましたけれども。
上記はあくまで私の場合としてとらえていただければと思います。
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