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2007年1月8日設置 サイト→http://warakosu.syarasoujyu.com/
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皆様、色々な野良ギフ情報や激励のコメントをありがとうございます。

学童で、おそらく知能の高い子を「扱いづらい子」として情報共有されていたという話は、心がしくしくします。絶対私も言われてたろー。。。

先生側の気持ちも凄くわかるんですよ。今は。子供はそもそものパワーがありますから、どんな意味でもイレギュラーな子に心の準備なしで付き合わされるのは非常な負荷です。
情報共有は先生側を守るために必要なことですし、そこに忖度をして婉曲な表現を使う意味もない。
ただ、「扱いづらい」と共有された時にその意味を幅広くとらえてくれる先生ならいいんですが、狭い範囲で語感から「悪いことだ」と捉える人だと、子供に対して初手から負の先入観であたることになってしまうんじゃないか。そこは悲しいと思いました。

知能が高かろうが低かろうが結局子供なんで、子供が大人に望むことって突き詰めれば「甘えさせてほしい」ってことなんじゃないかと思います。
その甘え方が人それぞれ違うだけなんですよね。

また、陽キャのお父様が60過ぎて野良ギフ判定を受けたというお話、ありがとうございます。
お父様は私とは逆に「自分にとって良い事だけ覚えて都合の悪いことは忘れている」そうで、羨ましすぎるだろ。
記憶能力の究極の使い方な気がする。ご家族は大変振り回されたとのことで、そうでしょうね、長年のご苦労お察しします。
でも、近くに明るい人がいるっていうのは同じパワーで逆属性よりは、たぶんいい事なんじゃないかなって・・・いや、本当に苦労されてきたのが文章からにじんでいるので軽々しくは言えないんですが・・・
お父様とご家族の皆様に幸あらんことを。


野良ギフテッドは結構そこらにごろごろ実はいると思うんですよ。
ただ、大人になってから発覚しづらいのは、学校よりは会社の方が個性を認めてくれる場だけあってまだ全然やりやすいのと、検査にお金がかかるから。だと思います。
悩みを打開するために何万も払って検査受けようなんて普通はせんよ。その金で美味しいもの食べたり旅行行ったりした方がいいじゃん。意識高くて自分をなんとかしたいなら資格試験を受けようとかになりますよ。
よほどのきっかけが無いと、旅より検査で自分を探す奴はいないと思う。


ただですね、野良ギフはやはり気づけるなら早く気づいた方がいい。
なぜなら、自覚せず周りに害を与えている可能性も高いからです。
野良はこれが一番の問題な気がする。

私は検査結果判明から今まで1週間くらいの間に、だいぶ社会人生活を反省しました。
自分が普通だと思って育っているので、自分ができることを人ができないのがわからないんですよ。
特に「言語理解」について。

もちろん一般常識として「他人を自分と同じと思うな」というのはあります。
聖闘士星矢で育った以上、行き過ぎた正義感もあった。
例えば、吃音があったり声が小さくて喋るのがとても下手な人だとか、そもそも口下手で無口だとか、公の場で質問をするのが苦手だとか、そういうタイプはこっちがフォローしてあげるべきだとわかる。

が、「言葉が足りない」タイプがわからない。

飲み会でノリノリで話して盛り上げてくれる人が、仕事で言葉が足りてないなんて思わない。そんなことがあるわけがないと。喋れるなら普通にできるでしょと。

後輩など目下相手だと、「そりゃ経験がまだないからな」「私に対する遠慮もあるだろうな」という配慮が別にかかってストレスはあまり無いし、待つことができる。
が、上司は。
お前その地位にいるなら私にすらできることは全部できなきゃダメだろ!みたいなのを激しく思ってしまう。自分がド平均、むしろ学歴みりゃ職場の平均よりは確実に数段劣ると信じているがために。

今ほんと考えてようやく知ったと思うんですけど、言葉は、「普通に会話できる」「おしゃべり上手」の上に「具体例を即座に的確に挙げられる」「比喩表現を自在に操れる」などがあって、それって普通友達との会話では不要なもんで、比喩表現駆使して喋って盛り上がるってそれ大体オタクの会話じゃないですか。
普段はそんな要らんのですよ。
でも仕事ではここのスキルかなり使える上に、ここだけ苦手な人というのがいて、そういう人は苦労をしてるんじゃないか。私のような短絡的な奴に誤解を受けて。

あの時あの人はこうだったんじゃないか、実はこうすればよかっただけのことなんじゃないか、今になってすごく反省しています。
本当にね、自分を叩き直す必要がありますよね。こういうの。

私は、わかってもらえないことも多かったけれど、わからないまま優しく接してくれる人たちにものすごく恵まれて生きて来たんだと思います。
遅すぎた感謝をしながら、同じ轍を踏まないようにこの先やっていきたいです。
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今から考えればあれはギフテッドだったせいなのか、という辛い思い出の具体例を挙げてみます。


①女友達の愚痴を聞くのが下手
これが筆頭に挙がるだけでどんだけ生きづらかったかが特に女性にはわかってもらえるんじゃないでしょうか。
誰だって愚痴を聞かされるのはいい気持ちするもんじゃないですけど、私の場合はおそらく、普通の人より他人の話を聞き流すことができません。
聞いた話が全て我が事のようにありありと想像でき、ものすごく共感するために、ものすごくストレスも感じます。
で、そこまでならまあ問題ないんですが、状況から共感はしても、そこから出る結論が違うんですよ。
愚痴に対して、「それならこうしたらいいんじゃないの?」って考えてしまう。嫌なら自分で打開すればいいじゃないの。全然できないことじゃないよ、と。
私も人生で学習したので、それを初手から言うようなことは大人になってからは無いんですが、それでも何度も何度も毎日同じ愚痴をしてこられると、辛さの蓄積が爆発していずれ言ってしまうわけです。
そうすると相手は「江戸女さんにはわからないのよ!ひどい!冷たい!」みたいなことになるわけです。「聞いてくれるだけでいいのに優しくない!」と。
こっちはおそらく誰よりも共感してるのにも関わらず、共感してくれない相手として断定され、そんなことを繰り返すうちに自分自身もまた、共感性が低くて思いやりがない人間なんだと思い込むようになります。


②嫌なことを忘れることができない
「執念深い」と思われやすい性質です。まあ実際問題執念深くはなってしまう。記憶力が良いので人にされた嫌なこと、特に理不尽で理由がつかない仕打ちは忘れない。
この「忘れない」は、臥薪嘗胆の努力なんかをしなくても、当時の感情を当時そのままにいつでも思い出せてしまうという意味になります。
なので例えば、十数年前に某上司から消費税1円の入りくり(業務的に何の支障もない)で怒鳴られた件とか、その某上司と現在の関係は決して悪くはないにも関わらず、笑い話に風化できないのです。
これは非常に疲れることです。


③嬉しい記憶がそこまで残ってない
記憶力良いのになんでやねんという話なんですが。
まず「褒められて嬉しい」が薄いんですよ。自分で普通にやってるだけなんで。想定内のことを心に残るほど嬉しいとは思えないでしょう。
秀才型の子供とギフテッドの違いの一つなんだそうですが、秀才型の子供は努力をして成果を勝ち取るので「達成感」というものがあるらしいですね。
ギフテッドそれ無いんですよ。努力してないから。「普通にしていればできる」が当然になっている。
登山やマラソンも、学校でするくらいのものは「登れば山頂につく」「走ればゴールできる」ようにマネジメントされていますから、その達成は当然の帰結を迎えただけで「自分が頑張ったこと」だとは思えないんです。よって達成感もない。少なくとも私はそうでした。
達成感や意外性がない「喜び」は、浅いですよ。やはり。

あるいは「思いがけず人に助けてもらった喜び」というのは強く感じるんですが、同世代から抜けてるのがギフテッドなので助けてもらう機会が非常に少ないです。
本当は助けてほしい時も放置されるケースの方が多い。

なので、事実としては褒められたことの方が絶対多いはずとはわかっているんですが、「思いがけず褒められた」より「理不尽に怒られた」ことが強い記憶として残っています。


③可愛くない
これな。女の子としてはもうな。色々詰むよ。
ルーチンワークは即飽きるため毎日化粧したくない、努力と忍耐の癖がついてないため寒い・痛いを我慢してまでお洒落をしたくない、合コンで男達の背伸びを全部見抜くそもそも合コンよりキノコの観察会に行ってしまうなど、ギフテッドのせいでダメだったところが色々ありました。ギフテッドのせいで。

・・・いやネットで「ギフテッドはユニセックスな見た目の人が多いです。男女の枠にとらわれない考え方をするためです」とか書いてあったんですけど、違うと思う子供のころから怠け癖がつくからだと思う。
男は筋トレ、女は化粧、モテは絶対的に努力がモノを言うんだよ。
何もしなかったらそら爺か婆かわからんようになっていくわ。

真面目に考察すると、ギフテッドは幼少期から親に褒められ周囲に凄いと言われて育つので、虚栄心が満たされる傾向にあり、努力してまで気を引く必要性を感じないんだと思います。
また、同世代との集まりは一人でいるよりもずっと孤独を感じるので、不特定多数にモテることが楽しい事だと思えないのもあるんじゃないでしょうか。

それよりも、ひとりでいいから自分をちゃんとわかってくれる人が欲しい。それが小さなころから切実な欲求になると思います。
一般的な「白馬の王子様思考」と異なるのは、王子に容姿より知能指数と包容力が求められる点でしょうか。
つまり、ほとんど初対面の王子の顔見てついていった白雪姫より、3回城から逃げ出して王子が自分を特定できるか試したシンデレラの方がたぶんIQ高い。


つらつらと自分語りしましたけれども。
上記はあくまで私の場合としてとらえていただければと思います。

そもそも0.3%以下しかいないのに、その上「四十路になって発覚する」ケースはレア中のレアのようです。

心理士「江戸女さんとの会話で特に問題になるような違和感はありませんでした。この数値でこれだけ(一般に)合わせていられるのは、並々ならぬ努力をされてきたと思いますね」


ここ一番泣きそうになった。


周りに、努力していると思ってもらえることがまず無いんですよ。
一生に一度でもわかってもらえて嬉しかったです!ありがとう先生!



私が所謂「ギフテッド」であったことを初めて知った両親の反応。


父「そういえば俺も子供のころに知能テストやらされてIQ130って言われたなあ」
母「あんたは絵本を読んであげたら自分で覚えて空読みしてたわよ。字なんか教えたことないわね、いつのまにか自分で勝手に覚えてたと思うわ」


・・・ヘーイ・・・!


今更慌てて「ギフテッド」とは何なのかどんな特徴があるのかを調べてますが、ネットで見た事例そのままの現象じゃねえか。気づいて。
確かに私も字を教えてもらった記憶が無いし、そういえば、文字を覚えるタイプの玩具もポスターもうちには一切無かった。そういうのを買おうとする前にもう字はOKだったということか。

漢字も習うより先に本で覚えてしまうので、漢字ドリルの意味がわからなかった。
なぜそんな何度も書かなければならないのか?
私はあれをなんとなく「最後まで丁寧にきれいな字をかけるか=女の子らしさを測る宿題だと考えていた節がある。あれをやるたびに、女の子らしさが私からあきらめられていってた気がする。


そうか。
なんか思い当たることがいっぱいで目から鱗がぼんぼろですよ。
そうだったのか。



休職をして、その間にいろいろ落ち着いて考えたことの中に、自分は発達障害なのではないか?というのがありました。

思い返せば子供のころからどうも生きづらい人生を送ってきた気がする。
特に担任の教師からは常に嫌われていた。
部屋の片づけも苦手ですぐにとっ散らかすし、協調性が無くどこでも浮いていた気がする。
ぶっちゃけ今職場でも浮いてるのは正直気づいている。

私には部長がドアホにしか見えないが、ほかの人にはそこまでアホには見えていないようにも思う。
発達障害や軽度知的障害を持つ人の中には、自分が優秀だと錯覚し他の人をアホだと思う者もいるという。
自分が正にそれではないか?


そんな不安から、私はこの機会に徹底的に己をまず調べ上げようということで、ウェクスラー式知能検査WAIS-IVを受けてみたんです。

その結果が昨日届きまして。


全検査IQで142と言われた。


結果要約「下位検査でも苦手項目がなく全体が平均より高すぎ、発達障害にも該当しません。病名ではありませんが状態を表す言葉としては『ギフテッド』が該当します。自分を環境に合わせるメリットはありません(そしてたぶんできません)ので、環境を自分に合わせるようにしてください」


いや40過ぎてそんなこと言われてもよ。


環境を自分に合わせるってどういうことだよ。この数値は「1000人に3人の割合です」って言ってるじゃん、そんな割合なのに合う環境ってこの世にあるんか。

なんだこれ。どうするんだ。来週復職なのに。



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