小学生の時に与えられた「坊ちゃん」を3ページで挫折。親は面白いというけれどもどこが面白いのかわからない。ドリトル先生の方がよほど面白い。
中学生の時に再度「坊ちゃん」にチャレンジ。やはり3ページで挫折。親は面白いというけれども(以下略)。スレイヤーズの方がよほど面白い。
高校生の時に再再度「坊ちゃん」にチャレンジ。なんとか5ページくらいは読んだがそこで挫折。親は面白(以下略)。デルフィニア戦記の方がよほど面白い。
確か大学に入ってからだったと思います。「坊ちゃん」を読破できたのは。その時は一気に読めました。確かに面白かった。けどドリトル先生の方が好き。
で、「坊ちゃん」が読めたので他にも文学読もうと思い、森鴎外の短編を読み始めて速攻で挫折。面白いか面白くないかすらわからずとにかく退屈し、純文学がこんなに退屈なもんなら自分は一生読めないだろうと思いました。
この挫折はよくよく私の心に傷を残したと思います。三島由紀夫が神の一手と讃えた鴎外の文を読めない自分はきっと文才なんか無いんだと。坊ちゃんが読めない頃からうすうすわかっていたが、やっぱりやっぱりそうだったかと。
以来、心が卑屈になって純文学にはほとんど手を出さずにいました。てか恐くて読めませんでした。
その上、せめて最近の流行作家の小説ぐらいはと思って何かすごく良さそうなことを書いてある帯の本を2、3冊読んだものの、どうしても面白いと思えなかったときには頭を掻き毟りました。
この絶賛されている本よりも、むしろアガサ・クリスティーや宮部みゆき等のミステリ作家の文章の方が圧倒的に上手いと思う。内容も「ホロー荘の殺人」や「終わりなき夜に生まれつく」の方が深い。という気がする。しかし帯には世の中がものすごい感動にむせび泣いたようなことが書いてある。ってことは自分がおかしいのか。感性が干からびてるのか。
純文学も大衆文学も理解できない。こんな引き出しの狭い人間が文章を書き続けられるはずがない。いつか必ず文というものに飽きて書けなくなる。恐い恐い恐い。
・・・・とずっと思ってました。死の宣告に等しかった。
一昨日、会社帰りに書店に寄った際、ふとカミュの「異邦人」を買いました。
仕事が凄まじく暇で、暇なことに疲れてもう何もしたくなく、それでいて電車の中の無為の時間に耐えられそうも無いので何か文字を追っていたいんだけどハラハラドキドキしたくない、むしろ読み始めたらすぐに寝たい。
そんな砂のような心境に、薄くて軽くて純文学で面白くないはずの「異邦人」はちょうどしっくりきたんだと思います。
で、読みました。
・・・・・
生まれて初めて文学を本気で面白いと思いました。
面白い。はんぱじゃない。なんだこれ。
ストーリーを面白いと思った本は山ほどある。が、こんなに一文一節まで面白いと思った本は未だかつて無い。凄い。ようやく純文学の凄さを思い知った。なんか涙出てきた。
これからもっともっと本を読もう。
久しぶりにアグレッシブに思えました。
先日会社の飲み会で上司から、「江戸女はもっと隙を見せなければ男は寄ってこないよ」と言われたのですが、隙って何だろう。私は毎日スッピンで出社しているがそれは隙とは言わないのだろうか。っていうか課長は奥さんのどんだけどでかい隙につけこんで・・・・まあいい。
とにかく隙って何だろうと考えたわけですよ。安直に考えれば服の露出度とかですかね。
でも今って冬じゃん。冬は寒いじゃん。ババシャツ無しではやっていけない。そしてババシャツを着てしまったらもう露出の高い服は無理だ。
あ、スカート丈を短くするとか?クソ寒ぃよ馬鹿野郎。
服は駄目だ。他の方向から考えます。
隙・・・飲んで可愛く酔っ払うとか?
あいにく下戸なんでな。飲めないことはないんだけども酒の酩酊感が苦手で、ほろ酔い段階で人と会話をしなくなり、他人の吸ってる煙草の煙を心の中で数え始める。そんなもん酔わせてみろ、どんだけ場が盛り下がることか。
酒も駄目だ。次。
ぽろっと弱音を吐くとかですかね。悩み事相談とか。心の隙というやつですね。
だが・・・・悩みか・・・・無いな。
悩みも駄目だ。次。
次、か・・・・・もう次無いな。
結局、隙が何なのかはわからないままですが、私に無い物ってことだから、色気とか可愛げとかでしょうかね。確かにそれは無い。上目遣いとかは満員電車で足踏みっぱなしのオヤジをガンつける時しかやらない。眼が疲れる。
・・・でもそれだったら課長も隙なくね?鉄壁じゃね?
やっぱりわからん・・・隙って何なんだ。
もうしつこいほど言ってますが、大河ドラマ「篤姫」ほんと面白いですよ!!
初回から、篤姫が家族や友達と別れて島津本家の養女になる「父の涙」まではもう毎回泣けました。
ぼろぼろ泣ける。先週の「父の涙」は、父の涙もぐっときましたが、今までずっと気丈に微笑んで篤姫を力づけていた母上が、篤姫がいなくなった後、娘の着物がかけてあった棹を撫でて泣くシーンで前が見えなくなりました。篤姫がほんと皆に愛されてて、出てくる人皆が素晴らしくて、なんていうかとにかく薩摩が好きだーーー!!!!
なので、そんな薩摩青春時代を終えて島津本家に入ったら、姫君生活=女の戦い!みたいな予告だったので、いじめとか意地悪な老女とかが出てきたら嫌だな、と思ってました。
NHKサイトの紹介では、薩摩本家で篤姫につく広川という老女は篤姫の礼儀作法のなってなさに驚いて辛く当たる・・・みたいなこと書いてたし。
ですが、今回「お姫様教育」で出てきた広川はちっとも嫌な人じゃなかったああああ!!!!単にツンデレなだけじゃん!!!確かに姫に対して厳しいけど、誰よりも姫のこと心配して、心が浮き立つようにしなければ!と色々頑張る。篤姫の食欲が回復したら喜ぶし、篤姫が楽しそうだったらそれを喜んで受け入れる、いい人じゃねえかああああああ!!!!ビバ広川!!!!島津本家が好きだーーーー!!!!
次週は京の公家から呼び寄せた老女・松島による姫様教育の話。
この人が篤姫の元に参上し、挨拶したとき、それまで晴れ渡っていた空がにわかにかきくもって雷がズシャアーン!!と鳴りました。どんだけ恐い老女ですか彼女は。
NHKの効果は時として理解しがたいものがある・・・義経最終回でお堂の屋根がぶっとんだ時とかな・・・
感動所を完璧におさえつつ、要所のCGで絶妙な笑いをとるNHK。この緩急にはまってしまうと普通のドラマでは満足できなくなります。
をををを、篤姫面白い!!面白すぎて今から来年の兼続が心配なぐらいだ!
とにかく、予想をはるかに超えて篤姫が面白いので今年は良い年だと思いました。
それが ときめきメモリアルGirl'sSide2ndSeason の発売でした。すみません、土日の全てをこれに捧げてました。
ときめきメモリアルGirl'sSideとは、かの有名なときめきメモリアルの女性向け版。
初回作は人間不信の少年やツンデレ教師をパラメーターとデートの誘いでときめかせ、メモリアルなエンディングに突き進め!というゲームでした。
作りこまれたゲームシステムもさることながら、豪華声優陣の名演が光り、本作は大ヒット。
続いて「ときめきメモリアルGirl'sSide 2ndKiss」が発売されました。
「ときめきメモリアルGirl'sSide 2ndKiss」は初回作のブルジョワ高校・はばたき学園からやや庶民的な羽ヶ崎学園へと舞台が変わり、キャラクターも一新、ヒロインも初回よりやや大人しい性格に。女子の制服が庶民とかけはなれている点が発売前から物議を醸しましたが、内容は初回作よりもさらに深く重い感動作になっており、特にエンディングの精度が上がりました。はばたき学園は勢いのまま突き進む感じでしたが、羽ヶ崎学園はしんみりと受け止める感じでした。
なお、私はこれの初回プレイで佐伯瑛と隠しキャラを平行して進めたため、軽くトラウマになりました。
最終的には瑛が迎えに来たんだが・・・なんかもう色々ごめん、デイジーは生まれてくるべきじゃなかった。
その後ニンテンドーDSが発売され一世を風靡すると、初回作もさっそく移植されました。
元のキャラクターやゲームシステムに加え、新キャラ一人と、DSの機能を生かしてタッチペンで男を触りまくることができるという汚れた機能、さらには男に二股をかけつつ片方を「親友」として生殺しにできるシステムが搭載され、乙女ゲームにおけるヒロインの非道外道っぷりを遺憾なく発揮できる仕様に。
本作は当然のようにヒットし、ほどなくして羽ヶ崎学園の方も移植が決定。それが「(前略)2ndSeason」なわけです。
で、この羽ヶ崎学園DS版では、元いたキャラに加えてさらに二人の新キャラを追加し、親友生殺しシステムももちろん搭載していたわけですが、何より問題なのは新しく追加された「大接近モード」。
要するに男に大接近してタッチペンで触りまくれという機能で、私は思いました、このゲームは18禁じゃなくていいのかと。
ヒロイン完全に変態じゃねーか!天然ボケで済まされるレベルじゃねーぞ!!っていうか、遊君でタッチペンの練習するってだけでもうほとんど犯罪だろこれ!!;脳トレと同じ母体でこんなゲームやっていいのか!?
そんなこんなで楽しい楽しいときメモGS、皆様もぜひお試し下さい。あくまでゲーム内で。
ちなみに私は初回作は三原色一択、2ndは最終的に真嶋でした。自分もう駄目だと思ってます。色はいい、色はいいが・・・・真嶋は駄目だろ色んな意味で・・・・
先に言っておきますが、私は買い控え客です。あんまりビデオとかDVDデッキとか持たないです。DVDはプレステで見る人種です。
なので、いつも一歩離れた所からこの次世代戦争を見てました。そして今日思ったことです。
マスコミ各社は、今後の消費者対応をどうするとか、負けたことによる損失がいくらになるとか、そういう部分を一斉に報道しているんですけども、それよりまず言うべきことがあるのではないかなぁと思います。
東芝さん。お疲れ様でした。
確かにHD-DVDは破れ、激戦による市場の迷走もありました。
しかし、世界標準を争う規格が二つとも日本から打ち出されたことは大きな意味があると思います。世界に対して日本のメーカーの底力を見せつけてくれた、せめてそこは誇りたいし、東芝陣営に対してねぎらいの拍手を送ってもいいのではないかと思います。
もっと早く一本化されていれば消費者も混乱しなかった、と言われています。
が、考えてもみてください、精魂込めて考えデザインし作った物をね、他に似たような物があるから未来永劫捨てろと言われてね、すぐに捨てられる人がいるもんですかい。そんな人間は物作りに向いてないでしょうよ。
どちらが優れているかは市場の判断に任せる。そのために戦う。
負けたメーカーにとっては会社の損失よりも何よりも、心血注いで戦ってきた作品を破棄しなければならないということが何より辛いのではないでしょうか。おそらくは二度と作れないのですから。
それでもオリンピック商戦・ワールドカップ商戦にもつれこまずに撤退を選んだ東芝の選択は、消費者に対しても経済に対しても精一杯配慮した結果だと思います。
HD-DVDを購入された方はいろいろ不安や不満もあるかと思いますが、世の中にはそういうことが往々にしてあるものです。東芝は撤退発表とともにアフターサポートにも言及していました。
我が家では昔、セガサタ・・・・いや、もはや何も言うまい。
マルチコントローラーとバーチャスティック・・・・いやもはや何も言うまい!!!!
今回の撤退は本当に東芝にとって苦渋の決断だったのだろうなとしみじみ思い、切なくなったニュースでした。