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2007年1月8日設置
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・・・というか。
テコンドー残留について長々語っといてなんですが、正直、柔道やテコンドーやフェンシング等の闘技系は五輪に入れるのどうなのかなと思いつつあります。
柔道もフェンシングも大好きなんですけど。
とにかく解説の相手バッシングが酷過ぎる。
どんな相手にしろジュリーが迷走したにしろ卑怯だなんだと貶めまくるのは絶対にスポーツマンではないです。スポーツとしての精神を持ってないなら、五輪から除外されるべきでしょう。
確かにジュリーは酷かった。だが、それは次の改善点とすればよい事です。
ルール改訂は柔道のあるべき姿を守るためだと私も思ってきました。しかし本当にそうだったんでしょうか。
今となっては「自国の選手のために」散々文句を言ってきた結果の産物がジュリーだったのではないかと思えてなりません。純粋に競技そのものを愛していれば、あんな歪んだモンスターは生まれなかったんじゃないでしょうか。
格闘技としては闘争心は大事なのでしょう。
しかし五輪競技として認めさせたなら、それはスポーツです。解説も含めスポーツマンとしてふるまうのは絶対の義務だと思います。

そんな闘技の中で、解説者が相手バッシングをせず、勝者をきちんと褒めていた競技がありました。
つまり、レスリングです。
あの競技は本当の意味でスポーツとして成立してるんですよ。
だから無くしちゃだめなんですよ、ロゲ会長。

個人的に一番好きなのは体操の解説です。
あの人たちは本当に体操が好きなんですよね。にじみでるように伝わってきます。
どの国の選手に対しても敬意を払っていて、若い選手については先が楽しみだと言い、ベテランの選手については今まで世界を引っ張ってきた素晴らしい選手だと言い、強い選手についてはこの美しさをぜひ見てくれと言い、新参の国については体操に力を入れるようになってきたのが嬉しいと言い、その語り口に国境を感じさせ無い。
五輪の精神とはそういう物では無いんでしょうか。

スポーツって、ルールが統一されてるとか、それだけの話じゃないですよね。
各国の解説はどんな事を言っているのか、ちょっと気になります。
競技内容がとかく取りざたされますが、スポーツを広めたいのであれば、解説のあり方も考えるべきだと思います。
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