2007年1月8日設置
サイト→http://warakosu.syarasoujyu.com/
アス魔鈴。たまに甘えたいワン公アステリオン。
「魔鈴。顔見せて」
「は?殺すよ?」
「つきあってるんだからいいだろ顔ぐらい」
「本当につきあってるわけじゃないだろ!」
「・・・・どういう意味?」
思うんですけど、聖闘士語で「顔見せて」は「やらせて」と同義語ですよね。もうね。
ちなみにこのシチュエーションはリア魔鈴だと想像できない。
アイオリアは女を背後から襲ったりしない。しないんだ絶対。
ここよ。金銀の違いは。
白銀はちょっと卑怯なんですよ。星矢序盤にガチ敵で出てきただけあって、ちょっと悪いんですよ。そこが萌えなんだよ。
「つきあってるから」
「は?」
「つきあってるから。俺達」
「・・・顔は見せないよ」
「いいけど、つきあってるから。よろしく」
「・・・わかったよ」
押しは強い。
アステリオンの生意気そうなところがたまらんですね。
PR
真木よう子さんが冬コミ参加を表明し、炎上し、断念したという出来事について考えました。
私は、クラウドファンディングで資金を集める事は、決して悪いことではないと思います。
コミケはみんな赤字覚悟でやるべき、という考え方は、違う。
例えば原価100円の素材があったとして、その桁をいくつ上げられるか、がクリエイターの腕だと思います。素晴らしい物を作ったらそれに見合う値をつける事を恐れてはならないです。
また、素晴らしい物を作ってくれる人がいたとして、先立つものがなくて作れないというなら、資金集めはぜひやるがいいと思います。金が無くて作れない、って一番悲しくてどうしようもないですよ。
クラウドファンディングは一つの方法ですし、出すって言う人が出すんだから、詐欺にだけはならないよう、筋を通して仕組みを使えばいいと思います。
私が思うに、真木よう子さんの問題は、何がしたいのか全くわからないところにあったと思います。
コミケは表現の場じゃないですか。何も表現したいことなさそうなんだものこの人。
真木よう子が真木よう子の写真集作って真木よう子ですって出すのは表現とは言わん。ただのファンサービス。
その写真集で何を訴えたいか、というところが大事なのであって、「みなさんと会いたい」とか言われても。余所でやれよと返されるのは仕方ないんじゃないでしょうか。
逆に、何か本当に訴えたいことがあるなら、そう堂々と主張してやり抜けば良かったんじゃないでしょうか。
真木よう子さんが悪いわけでは決してないと思うんですよ。
女優さんですからね。監督の思想や脚本を表現する仕事で、強い主張が無いというのはむしろプラスだと思います。
ただ、彼女のしようとしたことは、例えるならば、料理コンクールに生のキュウリ持ってきて生のキュウリ愛好家を呼び寄せようとしたような物で、やっぱりかなり場違いだった気がします。料理人が必要なんですよ。
個性のある女優さんだとしても、個性=表現では無い。表現する上で個性が出ることはあっても、個性をそのまま置いたら表現だというのは、違う。
じゃあ叶姉妹はどうなんだという話ですが、あの方々はどう見てもピクルスじゃないですか。あれが生野菜だとは私は認めない。
「意味のわからないゴージャス」を体現するためにコスプレで生活してるようなもんですよ。もともと表現者なんですよ。
真木よう子が好きな人は、真木よう子が好き。
叶姉妹が好きな人は、叶姉妹の世界が好き。
この違いだと思います。
ちょっと、考えてしまいましたね。
彼女の敗因・・・と言うかなんというかネックだったのは、クリエイター魂みたいなものを感じられなかったところ、なのか・・・
ていうか、今回の騒動通して一番彼女がクリエイターらしかったのは、クラウドファンディングで金集めたことですよ。
これはほんと、制作のために手段を問わないプロのクリエイター魂を感じる。私は好きですね。なんか、手段っていうか、意識が。ここだけは。
私は、クラウドファンディングで資金を集める事は、決して悪いことではないと思います。
コミケはみんな赤字覚悟でやるべき、という考え方は、違う。
例えば原価100円の素材があったとして、その桁をいくつ上げられるか、がクリエイターの腕だと思います。素晴らしい物を作ったらそれに見合う値をつける事を恐れてはならないです。
また、素晴らしい物を作ってくれる人がいたとして、先立つものがなくて作れないというなら、資金集めはぜひやるがいいと思います。金が無くて作れない、って一番悲しくてどうしようもないですよ。
クラウドファンディングは一つの方法ですし、出すって言う人が出すんだから、詐欺にだけはならないよう、筋を通して仕組みを使えばいいと思います。
私が思うに、真木よう子さんの問題は、何がしたいのか全くわからないところにあったと思います。
コミケは表現の場じゃないですか。何も表現したいことなさそうなんだものこの人。
真木よう子が真木よう子の写真集作って真木よう子ですって出すのは表現とは言わん。ただのファンサービス。
その写真集で何を訴えたいか、というところが大事なのであって、「みなさんと会いたい」とか言われても。余所でやれよと返されるのは仕方ないんじゃないでしょうか。
逆に、何か本当に訴えたいことがあるなら、そう堂々と主張してやり抜けば良かったんじゃないでしょうか。
真木よう子さんが悪いわけでは決してないと思うんですよ。
女優さんですからね。監督の思想や脚本を表現する仕事で、強い主張が無いというのはむしろプラスだと思います。
ただ、彼女のしようとしたことは、例えるならば、料理コンクールに生のキュウリ持ってきて生のキュウリ愛好家を呼び寄せようとしたような物で、やっぱりかなり場違いだった気がします。料理人が必要なんですよ。
個性のある女優さんだとしても、個性=表現では無い。表現する上で個性が出ることはあっても、個性をそのまま置いたら表現だというのは、違う。
じゃあ叶姉妹はどうなんだという話ですが、あの方々はどう見てもピクルスじゃないですか。あれが生野菜だとは私は認めない。
「意味のわからないゴージャス」を体現するためにコスプレで生活してるようなもんですよ。もともと表現者なんですよ。
真木よう子が好きな人は、真木よう子が好き。
叶姉妹が好きな人は、叶姉妹の世界が好き。
この違いだと思います。
ちょっと、考えてしまいましたね。
彼女の敗因・・・と言うかなんというかネックだったのは、クリエイター魂みたいなものを感じられなかったところ、なのか・・・
ていうか、今回の騒動通して一番彼女がクリエイターらしかったのは、クラウドファンディングで金集めたことですよ。
これはほんと、制作のために手段を問わないプロのクリエイター魂を感じる。私は好きですね。なんか、手段っていうか、意識が。ここだけは。
私は、沙織お嬢のプライベートジェットは普通の小型旅客機だと思っていたんですが、聖闘士星矢文庫版5巻を見ると面構えが旅客機では無い上ハリアーばりの垂直着陸しているので、これ実は何かの戦闘機なんですかね。
全然そういう漫画じゃないのに、なぜここで突然超科学がぶち込まれているのだろう。
前からグラード財団の財源は気になっていたが、もしかして死の商人的なあれなのか。
直に教皇の間を爆撃してたら十二宮編ノーダメージで終わってた気がしますね・・・
全然そういう漫画じゃないのに、なぜここで突然超科学がぶち込まれているのだろう。
前からグラード財団の財源は気になっていたが、もしかして死の商人的なあれなのか。
直に教皇の間を爆撃してたら十二宮編ノーダメージで終わってた気がしますね・・・
星の子学園高等部。番外。学園の恋人伝説。
吹奏楽部でいながら竪琴持ち込みを許された創立以来の天才・オルフェと、彼を支え続けた麗しき女生徒ユリテュース。
放課後の出会いに始まりオルフェの音楽留学で終わる3年間の悲恋の物語は、今なお学園の生徒たちの憧れと涙を誘う。
男はその才能のためにオーストリア・ウィーンあたりに行ってしまい、恋人は彼の事が忘れられないままずっと待ち続けているのだろう・・・きっと・・・
・・・しかし実際は、飛行機の搭乗直前で振り向いてしまったオルフェがその場で心変わりしたために、結局留学はしていなかった。
オル「僕は君のために奏で続けるよユリテュース・・・!」
ユリ「オルフェ・・・!」
やってろ。
オルフェはそれこそ絶対オーストリア修行地だと思ったんですがね。
ギリシャ・聖域だったのはびっくりしました。あそこは琴を練習できるような環境なのか。
あと、オルフェはすごく白ランを着せたくなりますね。なんとなく。