2007年1月8日設置
サイト→http://warakosu.syarasoujyu.com/
聖闘士の謝罪と言えば、皆様まず真っ先に双子兄弟のアレを思い浮かべられるようです。
しかし、私が思うに聖闘士星矢のベスト謝罪はこれです。
アイオリアからアテナへの謝罪。
星矢を葬りに来てアテナに諭されて真実を知った時のアレですね。
謝罪の成功度はいかに早くいかに罰を最小限に抑えて赦してもらえるかにかかっているので、たぶん死ぬことになったらそれは失敗です。
その点、アイオリアはほとんど処罰無しで赦してもらってますので、謝罪としては最高の結果を得たと言えるでしょう。
彼の謝罪の良かった点を見てみましょう。
1、騒動のごく初期の段階ですみやかに非を認め、謝っている。
2、跪き、身を低くして相手を立てている。
3、「この罪は一命にかえてお詫びいたします」と相手の想定以上の罰を自ら速やかに提示し誠意を示している。
4、真実を知らなかったという酌量すべき事情を被害者が受け入れている。
5、正装で見た目の信用度を上げている。
6、被害者側には謝罪を受け入れざるをえない特殊な事情がある。(女神のイメージの保持等)
こうしたところの要素があり、彼の謝罪は高次元の成功を見たと思われます。
また、彼はこの直前にも、シャイナへの過失傷害により星矢を激怒させていますが、
1、被害関係者の怒り(拳)を全面(顔面)的に受け入れる。
2、自らの落ち度を認め、釈明をしない。
3、被害者の回復に向けて全責任を負う事を、求められる前に自ら明言する。
といった対応により、死んでも赦さないというところまできていた相手の感情を鎮火させています。「これで少しは気が済んだか」「ゆるせ」といった独断的な台詞はリスクが高いので普通の人は真似しない方が懸命ですが、ともあれ結果は見事な物です。
謝罪後には、被害者の方を向く時は眼を閉じて顔を見ないようにする、シリウス達が来た時にも彼女の顔を見せないよう配慮した体勢を取る、といった行動で誠意を示しており、これらの細かい配慮も信用回復への手助けとなったのでしょう。
要するに、素直な奴は謝罪も上手い。ということだと思います。
脳筋でもいいんですよ。まず大事なのは心ですよ。それが謝罪の初速を決める。
日頃から心のありかをどこに置いて生きているかというのが、いざというとき非常に重要なんだと思いました。
聖闘士星矢はやっぱり深い。
しかし、私が思うに聖闘士星矢のベスト謝罪はこれです。
アイオリアからアテナへの謝罪。
星矢を葬りに来てアテナに諭されて真実を知った時のアレですね。
謝罪の成功度はいかに早くいかに罰を最小限に抑えて赦してもらえるかにかかっているので、たぶん死ぬことになったらそれは失敗です。
その点、アイオリアはほとんど処罰無しで赦してもらってますので、謝罪としては最高の結果を得たと言えるでしょう。
彼の謝罪の良かった点を見てみましょう。
1、騒動のごく初期の段階ですみやかに非を認め、謝っている。
2、跪き、身を低くして相手を立てている。
3、「この罪は一命にかえてお詫びいたします」と相手の想定以上の罰を自ら速やかに提示し誠意を示している。
4、真実を知らなかったという酌量すべき事情を被害者が受け入れている。
5、正装で見た目の信用度を上げている。
6、被害者側には謝罪を受け入れざるをえない特殊な事情がある。(女神のイメージの保持等)
こうしたところの要素があり、彼の謝罪は高次元の成功を見たと思われます。
また、彼はこの直前にも、シャイナへの過失傷害により星矢を激怒させていますが、
1、被害関係者の怒り(拳)を全面(顔面)的に受け入れる。
2、自らの落ち度を認め、釈明をしない。
3、被害者の回復に向けて全責任を負う事を、求められる前に自ら明言する。
といった対応により、死んでも赦さないというところまできていた相手の感情を鎮火させています。「これで少しは気が済んだか」「ゆるせ」といった独断的な台詞はリスクが高いので普通の人は真似しない方が懸命ですが、ともあれ結果は見事な物です。
謝罪後には、被害者の方を向く時は眼を閉じて顔を見ないようにする、シリウス達が来た時にも彼女の顔を見せないよう配慮した体勢を取る、といった行動で誠意を示しており、これらの細かい配慮も信用回復への手助けとなったのでしょう。
要するに、素直な奴は謝罪も上手い。ということだと思います。
脳筋でもいいんですよ。まず大事なのは心ですよ。それが謝罪の初速を決める。
日頃から心のありかをどこに置いて生きているかというのが、いざというとき非常に重要なんだと思いました。
聖闘士星矢はやっぱり深い。
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聖闘士はまともに謝罪できるのだろうか。
そしてまともに司会はできるのだろうか。
・・・
謝罪はともかく司会はやばい。そんな気がする。
ちなみに聖闘士星矢において初めて謝罪が発生したのは1巻148ページ(文庫版)。
発言者は学園の天使・美穂ちゃん。
星矢「ほんとうにオレのねえさんがどこにいったか知らないか(中略)おしえてくれ美穂ちゃん!!」
美穂「ご…ごめんなさい、なんの手助けにもならなくて…わたし…」
涙の謝罪。何も悪くないのに。
それに対し星矢が「オレのほうこそゴメン…」と言ったのが聖闘士初の謝罪でした。
・・・やっぱ謝罪もやばそうですね・・・
そしてまともに司会はできるのだろうか。
・・・
謝罪はともかく司会はやばい。そんな気がする。
ちなみに聖闘士星矢において初めて謝罪が発生したのは1巻148ページ(文庫版)。
発言者は学園の天使・美穂ちゃん。
星矢「ほんとうにオレのねえさんがどこにいったか知らないか(中略)おしえてくれ美穂ちゃん!!」
美穂「ご…ごめんなさい、なんの手助けにもならなくて…わたし…」
涙の謝罪。何も悪くないのに。
それに対し星矢が「オレのほうこそゴメン…」と言ったのが聖闘士初の謝罪でした。
・・・やっぱ謝罪もやばそうですね・・・
「司会者」は本日の飲み会の鉄板ネタになってました。
関係者の記者会見が全て出揃い、警察も動き、国も強制的に入るということで、部外者が怒る必要も無くなって、タックル問題は再び関係者間で解決する問題に戻ったと思いました。
関係者が当初よりだいぶ重く増えていますけども。
私がここに書くのもこれで終わりにします。
現在の報道は書き手が怒り狂っているので、燃料にはなっても判断材料にはならないと思ってます。嘘か本当かというのは、批判と弁護が両方揃って初めて検証できることで、だから裁判には弁護人がいる。
「あの記事がああいった!」ではなく、今は材料になりうるものを見て考えてみるしかないです。
自分がこの人になったらこの行動をする意味は何か、この立場になったらはたしてこう言うだろうか、できるだけリアルに想像するしかない。さらに自分では無く自分とタイプの違う職場のAさんなどを当てはめて想像していく。結論を一つに絞らずたくさん出して、どれがどれだけありうるか、その一つ一つの積み重ねで何が一番真実に近いかを考えて行くしかないです。
要は、頭の中でひたすら裁判してみるしかない。
弁護の記事がちゃんとあれば、批判の記事も材料になりうるんですけど、今はそんなもん絶対出てこないと思うので、批判の記事も「こういう事象についてこういう風に書いた記事」止まりで、信憑度不明になってしまう。
今のところは反則の動画と記者会見だけが、何のフィルターもかかっていない材料かと思います。だから私は、これを繰り返し繰り返し見るし、読む。読むたびに司会者の存在感の増し方が神がかってるなと思うけど、読む。不快になってもその不快感がどうして沸くのか、自分の感情は本当に一般的なのか、自分の方が間違っているのではないか、それを考える事で見えてくるものがある。
彼らの言ってる事が本当か嘘かというのは、考える分にはどうでも良い事です。どっちのパターンも考えるから。
こういうケースでは、何年か後に、冷静なライターが関係者を取材して、改めて検証する記事を書くのではないでしょうか。でなければ判決文。いつかそれを読みたいですね。
元監督もコーチも日大も、別に私達の好奇心や処罰感情を満たす必要は無いですし、世間の事は考えなくていいですよ。
今はただ、学生の事を考えて欲しい。被害者の学生、加害者の学生、そして在校生、卒業生。
彼らの事だけを考えて行動して欲しい。それを願うだけです。
それだけの事が、どうしてできなかったんだろう。
関係者の記者会見が全て出揃い、警察も動き、国も強制的に入るということで、部外者が怒る必要も無くなって、タックル問題は再び関係者間で解決する問題に戻ったと思いました。
関係者が当初よりだいぶ重く増えていますけども。
私がここに書くのもこれで終わりにします。
現在の報道は書き手が怒り狂っているので、燃料にはなっても判断材料にはならないと思ってます。嘘か本当かというのは、批判と弁護が両方揃って初めて検証できることで、だから裁判には弁護人がいる。
「あの記事がああいった!」ではなく、今は材料になりうるものを見て考えてみるしかないです。
自分がこの人になったらこの行動をする意味は何か、この立場になったらはたしてこう言うだろうか、できるだけリアルに想像するしかない。さらに自分では無く自分とタイプの違う職場のAさんなどを当てはめて想像していく。結論を一つに絞らずたくさん出して、どれがどれだけありうるか、その一つ一つの積み重ねで何が一番真実に近いかを考えて行くしかないです。
要は、頭の中でひたすら裁判してみるしかない。
弁護の記事がちゃんとあれば、批判の記事も材料になりうるんですけど、今はそんなもん絶対出てこないと思うので、批判の記事も「こういう事象についてこういう風に書いた記事」止まりで、信憑度不明になってしまう。
今のところは反則の動画と記者会見だけが、何のフィルターもかかっていない材料かと思います。だから私は、これを繰り返し繰り返し見るし、読む。読むたびに司会者の存在感の増し方が神がかってるなと思うけど、読む。不快になってもその不快感がどうして沸くのか、自分の感情は本当に一般的なのか、自分の方が間違っているのではないか、それを考える事で見えてくるものがある。
彼らの言ってる事が本当か嘘かというのは、考える分にはどうでも良い事です。どっちのパターンも考えるから。
こういうケースでは、何年か後に、冷静なライターが関係者を取材して、改めて検証する記事を書くのではないでしょうか。でなければ判決文。いつかそれを読みたいですね。
元監督もコーチも日大も、別に私達の好奇心や処罰感情を満たす必要は無いですし、世間の事は考えなくていいですよ。
今はただ、学生の事を考えて欲しい。被害者の学生、加害者の学生、そして在校生、卒業生。
彼らの事だけを考えて行動して欲しい。それを願うだけです。
それだけの事が、どうしてできなかったんだろう。
私の中で膨れ上がっていく日大広報部真のラスボス説。
我々は何かとてつもないミスリードをされていたのではないだろうか・・・
内田理事が大学のNo2?その発言には誰も逆らえない?
しかしあの司会者は平気でそのNo2の発言を無視していたぞ。
どういうことなんだ。
考えてみればどんなまともな法人でも広報部がヤバかったら全体ヤバく見えるわな。
そもそも大学の広報など注目される部署でもなさそうだし、持て余した人材を突っ込んでおいただけなのかもしれん。それがいきなり注目浴びてはっちゃけてしまったとか。
もう日大の誰も広報を止める事ができない。そんな事態になってたんじゃないだろうか。恐ろしい・・・
週刊文春が内田監督の録音テープを公開すると発表してますが。
アメフトという格闘技ばりに激しいスポーツの試合直後の発言だと、その点をしっかり頭に入れて聞いた方が良いのだと思います。興奮冷めやらぬ状態での発言を、そのまま人格だとするのは酷かと。
内田監督の言では、この時点では問題を認識していなかったということです。
「プレー(タックルしたところ)を見ていなかった」というのは、私は別に矛盾してないと思います。
日大はそれまでそんなプレーをするチームでは無かったという話から、「選手がまさかそんな事をするとは思わなかった」という監督・コーチの言い分は本心だと思います。
かつ、あそこまで悪質なタックルは誰も見た事が無かったのですから、「思ってもいなかった見た事も無いプレー」がたとえ視界に入ったとしても、咄嗟に認識することは難しい。
さらに審判も良く見ておらず甘い処罰になったことで、その程度のプレーだったと誤認してしまった可能性は十分あります。
別に監督やコーチを庇う気は無いのですが、彼らの話と宮川選手の話、どちらも完全に事実だと考えると「なぜ今までまともだったチームのまともだった選手が突然こんな反則をすることになったのか」という一番不可解な点が説明つくので、私はやはりどっちも事実だったのだと思います。
そうすると確かに広報の出した「乖離」というあれは正しかったんですが、いや、でも、しかし。
この問題、振り返ると広報部の存在が強烈過ぎませんかね・・・
我々は何かとてつもないミスリードをされていたのではないだろうか・・・
内田理事が大学のNo2?その発言には誰も逆らえない?
しかしあの司会者は平気でそのNo2の発言を無視していたぞ。
どういうことなんだ。
考えてみればどんなまともな法人でも広報部がヤバかったら全体ヤバく見えるわな。
そもそも大学の広報など注目される部署でもなさそうだし、持て余した人材を突っ込んでおいただけなのかもしれん。それがいきなり注目浴びてはっちゃけてしまったとか。
もう日大の誰も広報を止める事ができない。そんな事態になってたんじゃないだろうか。恐ろしい・・・
週刊文春が内田監督の録音テープを公開すると発表してますが。
アメフトという格闘技ばりに激しいスポーツの試合直後の発言だと、その点をしっかり頭に入れて聞いた方が良いのだと思います。興奮冷めやらぬ状態での発言を、そのまま人格だとするのは酷かと。
内田監督の言では、この時点では問題を認識していなかったということです。
「プレー(タックルしたところ)を見ていなかった」というのは、私は別に矛盾してないと思います。
日大はそれまでそんなプレーをするチームでは無かったという話から、「選手がまさかそんな事をするとは思わなかった」という監督・コーチの言い分は本心だと思います。
かつ、あそこまで悪質なタックルは誰も見た事が無かったのですから、「思ってもいなかった見た事も無いプレー」がたとえ視界に入ったとしても、咄嗟に認識することは難しい。
さらに審判も良く見ておらず甘い処罰になったことで、その程度のプレーだったと誤認してしまった可能性は十分あります。
別に監督やコーチを庇う気は無いのですが、彼らの話と宮川選手の話、どちらも完全に事実だと考えると「なぜ今までまともだったチームのまともだった選手が突然こんな反則をすることになったのか」という一番不可解な点が説明つくので、私はやはりどっちも事実だったのだと思います。
そうすると確かに広報の出した「乖離」というあれは正しかったんですが、いや、でも、しかし。
この問題、振り返ると広報部の存在が強烈過ぎませんかね・・・
監督・広報・コーチときて、新たに司会者という薪を背負った新キャラ登場。
どんだけ薪キャラ増やす気なんだよ。日大はカチカチ山か何か?
内田監督と井上コーチの記者会見をずっと見ていました。
私個人の意見です。
彼らは、彼らの目から見た事実をちゃんと話している。
と、感じました。
彼らなりに最大限の努力はしていたと思います。本当に。
当事者でない第三者である私達は、できる限り公平に見聞きしなければいけないです。自分が期待していた答えと違ったとしても、だからと言って嘘だと判断してはいけないし、その為に怒ったりもしてはいけない。
宮川選手の言い分を事実だと思ったのなら、内田監督と井上コーチの言い分もまずは事実として聞く努力をしなきゃいけないと思います。
例えば、私が昼に書いた憶測は、事実よりもずっと意地の悪い考え方をしていたのだろうと思って、自分の考えを改めねばならないと思ってます。申し訳ありません。
まず1つ重要な事は、記者会見を拝見する限り、監督もコーチも圧倒的に語彙力が足りない人間である。これは認めなければならない事実だと思います。
出だしからこの人たちは「申し訳ありません」しか言えなくなったんじゃないかと思いました。
その後は「思いっきり」何回言うねんと思いました。
宮川選手の証言と乖離する「言った言わない問題」は、これで大体説明がつくと私は思ってます。
語彙が少ない人間は、1つの言葉に多くの意味を持たせます。
「やばいオススメの店で一番やばいメニュー頼んだら超やばくって超食べ過ぎてお会計超やばかった」みたいな。
彼らは相手に伝わってると思っても、実はあんまり伝わっておらず、聞いた何人かで「あの人があのタイミングで言ったのだからおそらくこの意味だろう」みたいな読解をすることもよくあることです。
このせいで彼らの意図した事が宮川選手に正しく伝わらなかった、井上コーチはまさにこれを説明してましたが、私は事実だったと思います。
タックル問題では「潰せ」という言葉がそれでした。
私は、井上コーチがはっぱをかける意味で言ったのだと信じられますし、しかしそういう意味に取らなかった宮川選手ももちろん信じられるわけで、要するに両者の心の深刻度に差がある場合は両者の「妥当な捉え方」にも差があるということです。
このすれ違いはどっちが悪いとは言えません。
ただ、宮川選手をちゃんと理解してあげていなかったという点で、指導者側により非はあるかと思います。特に、重大な結果につながってしまった場合は、少なくともいったんは指導者が全責任を引き受けるべきだとは思います。
次に、宮川選手が聞いたはずの言葉について監督・コーチが「言わなかった」と言っている件。
これもですね、語彙力の不足によるものだったと思えます。私には。
例えばですね、昼になっても「おはよう」と挨拶する語彙力の無いAさんがいたとします。Aさんはある日真昼間にBさんに「おはよう」といいました。
するとその後、BさんはCさんに、「さっきAさんにこんにちはって言われたわ~」と話しました。Bさんは「Aさんに挨拶された」と言う事を伝えたかったので、自分が昼に言う挨拶の言葉に置き換えて話したわけです。
さて翌日、CさんはAさんにあったので、「昨日Bさんにこんにちはって言ったんですって?」と聞きました。
Aさんはびっくりしました。自分は「こんにちは」なんて言ってない!
なので「言ってない!」と否定しました。
語彙力の無い人と言うのは、同義語を見分けられません。自分が普段言わない言い回しに置き換えられると、それが全体としてどういう意味かはっきりわからず、自分の言葉につなげる事ができないため、「言ってない」と言います。
宮川選手が聞いた以上、言葉はあったのだと思います。
ただ、宮川選手も別に録音してたわけではないので、一言一句完璧に再現しているわけではないと思います。
今回の事件は「言葉」が重要な意味を持つ為、質問をする記者が「○○と言ったんですか?」と強調して尋ねます。しかしそれが自分たちの言い方と違う台詞だった場合、語彙力の低い監督とコーチは自分たちの言葉に置き換えられず、「言ってない」と回答してしまいます。かつ、置き換えられないので「でも△△という言葉で言いました」という補足ができません。
彼らの「言ってない」は、決して宮川選手を否定したいわけではなく、そういう意味で「言ってない」しか言いようがなかったのだと思います。
何かは言っているんですよ。でも、前述したとおり彼らの意図した事と宮川選手の受け取り方は違っていた可能性がありますから、宮川選手が自分の言葉に置き換えた場合、彼らの意図とかけ離れた言葉になっていた可能性も当然ありえます。
なので、私は彼らは気の毒なほど語彙力が無いだけで、抵抗したいとかそういう気持ちは無いのだと感じました。
それから、内田監督が責任を井上コーチに押し付けている説が出てますが、私は懐疑的です。
なぜかというと、宮川選手は「そもそも内田監督とはほとんど話した事がない」と言っていました。ほとんど話したことの無い選手について監督が細かい指示を出すとは、確かにちょっと思えないです。
また、「ほとんど話した事がない」というのはつまり内田監督が「忙しくて現場にあまりいない」という報道を裏付ける言葉でもあり、そんな多忙な監督にコーチが逐一報告に行って指示を仰ぐかというと、それも疑問です。
どちらかというと、「監督に聞いてやる!」「監督がOKって言ったぞ!」と先に選手に伝えて、後から監督にOKでいいですよね?と事後報告兼承認を得る、こうした運用の方がありうると思います。
また、この勇み足的な運用は、会見に見る井上コーチのキャラに矛盾しない気もしました。
勢いだけで言っちゃう人なんだろうなと思ったので。
なので、彼らは本当に彼らとしての事実を話している。
そして、事があまりに大きくなりすぎて先の事考える余裕が無い為、自分たちがそれを主張すると宮川選手がどうなるかにはまだ考えが及んでいない。のだと思います。
彼らには時間を与えなければいけないと思います。
ただ、現時点でもまだ、監督とコーチは認識の浅いところがあるとも思いました。
それは、「宮川選手に会ったら何と声をかけたいか?」という質問に対し、「アメフトに戻って来て欲しい」と答えた事です。
アメフトよりなによりまず、謝ることが先だろうと思うのですが、それが咄嗟に出てこない。まだまだ選手の事を思いやれていない。自分の価値観だけを押しつけに行ってます。
問題の根本的な原因は、監督とコーチの自己本位な考え方の押しつけだと思いました。
彼らはよかれと思ってやっていたのかもしれませんが、目上の人間から言われた時にそれがどういう影響を与えるか、もっと良く考えるべきです。
まず謝罪をして、身を低くして、宮川選手とできる限り同じ目線に立ってあげた上で、話し合った方がいい。話せばわかるというのは甘い。話し方によるんです。今回は特に。
内田監督と井上コーチは決して、邪悪な指導者とかそういうのでは無かったと、会見を見ていて私は思いました。むしろ熱心な一生懸命な人だったんでしょう。
ただ、長期にわたって指導をする人は、長期にわたって成長しなければならない。
「今の子」を理解しなければならないし、「今の社会」も知らなければいけない。
それが後手に回って対応できなかったということは、指導者から退く潮時なのだと思います。
なんか、私は、宮川選手よりもこっちの方が悲しい気がしましたね。
彼らのことを慕っていた選手もきっといたと思いますし、そういう子達が恩師の弁護もできず、縮こまっているのかもしれない。100人いて100人全員から嫌われる人っていうのはいませんからね。
母校や恩師が炎上するのは辛い事です。私の母校は本件以上の大炎上した大学なので、実感持って言えます。
私はこの会見で、監督とコーチに対しては悪印象を覚えませんでした。
だから、私が勝手に思い込んでいたように、日大が何から何までおかしい大学というのではきっとないのだとも思いました。
ただ、司会は。何しに来たのあの人。
この問題をここまで大きくしたのは広報部の失態も相当あると思うんですよ。あの司会はたぶん広報部ですよね。あの場にいるんだから。
広報部は内田理事の言いなり説出てましたけど、なんか違うと思いました。少なくとも広報は勝手にクソ迷惑な形で誰も何も言ってないのに言いなりになってんじゃないだろうか。
内田理事関係無く内部にへいこらして外部に傲慢と言う、そういう体質の部署なんじゃないのか。
違ったらほんと申し訳ない、でもちょっと試しに、内田理事より井上コーチより、まず広報部を更迭してみて欲しい。そうしたら全てがまともに見えてくるのかもしれない。いや真面目に。
どんだけ薪キャラ増やす気なんだよ。日大はカチカチ山か何か?
内田監督と井上コーチの記者会見をずっと見ていました。
私個人の意見です。
彼らは、彼らの目から見た事実をちゃんと話している。
と、感じました。
彼らなりに最大限の努力はしていたと思います。本当に。
当事者でない第三者である私達は、できる限り公平に見聞きしなければいけないです。自分が期待していた答えと違ったとしても、だからと言って嘘だと判断してはいけないし、その為に怒ったりもしてはいけない。
宮川選手の言い分を事実だと思ったのなら、内田監督と井上コーチの言い分もまずは事実として聞く努力をしなきゃいけないと思います。
例えば、私が昼に書いた憶測は、事実よりもずっと意地の悪い考え方をしていたのだろうと思って、自分の考えを改めねばならないと思ってます。申し訳ありません。
まず1つ重要な事は、記者会見を拝見する限り、監督もコーチも圧倒的に語彙力が足りない人間である。これは認めなければならない事実だと思います。
出だしからこの人たちは「申し訳ありません」しか言えなくなったんじゃないかと思いました。
その後は「思いっきり」何回言うねんと思いました。
宮川選手の証言と乖離する「言った言わない問題」は、これで大体説明がつくと私は思ってます。
語彙が少ない人間は、1つの言葉に多くの意味を持たせます。
「やばいオススメの店で一番やばいメニュー頼んだら超やばくって超食べ過ぎてお会計超やばかった」みたいな。
彼らは相手に伝わってると思っても、実はあんまり伝わっておらず、聞いた何人かで「あの人があのタイミングで言ったのだからおそらくこの意味だろう」みたいな読解をすることもよくあることです。
このせいで彼らの意図した事が宮川選手に正しく伝わらなかった、井上コーチはまさにこれを説明してましたが、私は事実だったと思います。
タックル問題では「潰せ」という言葉がそれでした。
私は、井上コーチがはっぱをかける意味で言ったのだと信じられますし、しかしそういう意味に取らなかった宮川選手ももちろん信じられるわけで、要するに両者の心の深刻度に差がある場合は両者の「妥当な捉え方」にも差があるということです。
このすれ違いはどっちが悪いとは言えません。
ただ、宮川選手をちゃんと理解してあげていなかったという点で、指導者側により非はあるかと思います。特に、重大な結果につながってしまった場合は、少なくともいったんは指導者が全責任を引き受けるべきだとは思います。
次に、宮川選手が聞いたはずの言葉について監督・コーチが「言わなかった」と言っている件。
これもですね、語彙力の不足によるものだったと思えます。私には。
例えばですね、昼になっても「おはよう」と挨拶する語彙力の無いAさんがいたとします。Aさんはある日真昼間にBさんに「おはよう」といいました。
するとその後、BさんはCさんに、「さっきAさんにこんにちはって言われたわ~」と話しました。Bさんは「Aさんに挨拶された」と言う事を伝えたかったので、自分が昼に言う挨拶の言葉に置き換えて話したわけです。
さて翌日、CさんはAさんにあったので、「昨日Bさんにこんにちはって言ったんですって?」と聞きました。
Aさんはびっくりしました。自分は「こんにちは」なんて言ってない!
なので「言ってない!」と否定しました。
語彙力の無い人と言うのは、同義語を見分けられません。自分が普段言わない言い回しに置き換えられると、それが全体としてどういう意味かはっきりわからず、自分の言葉につなげる事ができないため、「言ってない」と言います。
宮川選手が聞いた以上、言葉はあったのだと思います。
ただ、宮川選手も別に録音してたわけではないので、一言一句完璧に再現しているわけではないと思います。
今回の事件は「言葉」が重要な意味を持つ為、質問をする記者が「○○と言ったんですか?」と強調して尋ねます。しかしそれが自分たちの言い方と違う台詞だった場合、語彙力の低い監督とコーチは自分たちの言葉に置き換えられず、「言ってない」と回答してしまいます。かつ、置き換えられないので「でも△△という言葉で言いました」という補足ができません。
彼らの「言ってない」は、決して宮川選手を否定したいわけではなく、そういう意味で「言ってない」しか言いようがなかったのだと思います。
何かは言っているんですよ。でも、前述したとおり彼らの意図した事と宮川選手の受け取り方は違っていた可能性がありますから、宮川選手が自分の言葉に置き換えた場合、彼らの意図とかけ離れた言葉になっていた可能性も当然ありえます。
なので、私は彼らは気の毒なほど語彙力が無いだけで、抵抗したいとかそういう気持ちは無いのだと感じました。
それから、内田監督が責任を井上コーチに押し付けている説が出てますが、私は懐疑的です。
なぜかというと、宮川選手は「そもそも内田監督とはほとんど話した事がない」と言っていました。ほとんど話したことの無い選手について監督が細かい指示を出すとは、確かにちょっと思えないです。
また、「ほとんど話した事がない」というのはつまり内田監督が「忙しくて現場にあまりいない」という報道を裏付ける言葉でもあり、そんな多忙な監督にコーチが逐一報告に行って指示を仰ぐかというと、それも疑問です。
どちらかというと、「監督に聞いてやる!」「監督がOKって言ったぞ!」と先に選手に伝えて、後から監督にOKでいいですよね?と事後報告兼承認を得る、こうした運用の方がありうると思います。
また、この勇み足的な運用は、会見に見る井上コーチのキャラに矛盾しない気もしました。
勢いだけで言っちゃう人なんだろうなと思ったので。
なので、彼らは本当に彼らとしての事実を話している。
そして、事があまりに大きくなりすぎて先の事考える余裕が無い為、自分たちがそれを主張すると宮川選手がどうなるかにはまだ考えが及んでいない。のだと思います。
彼らには時間を与えなければいけないと思います。
ただ、現時点でもまだ、監督とコーチは認識の浅いところがあるとも思いました。
それは、「宮川選手に会ったら何と声をかけたいか?」という質問に対し、「アメフトに戻って来て欲しい」と答えた事です。
アメフトよりなによりまず、謝ることが先だろうと思うのですが、それが咄嗟に出てこない。まだまだ選手の事を思いやれていない。自分の価値観だけを押しつけに行ってます。
問題の根本的な原因は、監督とコーチの自己本位な考え方の押しつけだと思いました。
彼らはよかれと思ってやっていたのかもしれませんが、目上の人間から言われた時にそれがどういう影響を与えるか、もっと良く考えるべきです。
まず謝罪をして、身を低くして、宮川選手とできる限り同じ目線に立ってあげた上で、話し合った方がいい。話せばわかるというのは甘い。話し方によるんです。今回は特に。
内田監督と井上コーチは決して、邪悪な指導者とかそういうのでは無かったと、会見を見ていて私は思いました。むしろ熱心な一生懸命な人だったんでしょう。
ただ、長期にわたって指導をする人は、長期にわたって成長しなければならない。
「今の子」を理解しなければならないし、「今の社会」も知らなければいけない。
それが後手に回って対応できなかったということは、指導者から退く潮時なのだと思います。
なんか、私は、宮川選手よりもこっちの方が悲しい気がしましたね。
彼らのことを慕っていた選手もきっといたと思いますし、そういう子達が恩師の弁護もできず、縮こまっているのかもしれない。100人いて100人全員から嫌われる人っていうのはいませんからね。
母校や恩師が炎上するのは辛い事です。私の母校は本件以上の大炎上した大学なので、実感持って言えます。
私はこの会見で、監督とコーチに対しては悪印象を覚えませんでした。
だから、私が勝手に思い込んでいたように、日大が何から何までおかしい大学というのではきっとないのだとも思いました。
ただ、司会は。何しに来たのあの人。
この問題をここまで大きくしたのは広報部の失態も相当あると思うんですよ。あの司会はたぶん広報部ですよね。あの場にいるんだから。
広報部は内田理事の言いなり説出てましたけど、なんか違うと思いました。少なくとも広報は勝手にクソ迷惑な形で誰も何も言ってないのに言いなりになってんじゃないだろうか。
内田理事関係無く内部にへいこらして外部に傲慢と言う、そういう体質の部署なんじゃないのか。
違ったらほんと申し訳ない、でもちょっと試しに、内田理事より井上コーチより、まず広報部を更迭してみて欲しい。そうしたら全てがまともに見えてくるのかもしれない。いや真面目に。